これは、青春ドラマ、学園ものにありがちな「成長譚」です。田舎オヤジとしては、若者たちの好ましい群像に思えて感動しました。
若者たちが自分が進もうとする好きなフィールドで野心を抱きながら、もがき苦しむ、ぶつかり合う、あるいはときに挫折…。
若いときにしかできない貴重な体験で、すばらしいことだと思う。
「若者には失敗する自由を」「オジンは過去の実績を誇るな。早くひっこめ」「でも、たまには言いたいことを言わせろ」というのが、私の信条です。
さて、それでも千秋はなんと面倒見がいいことでしょう。
最初のリハーサルでなんとかして、Sオケに適したオーケストレイションがあるのではないかと模索するのです。が、やはり、自分の要求する演奏基礎技術のレヴェルは譲れない…。千秋は葛藤します。
このとき、シュトレーゼマンは千秋の指揮方法を見て指摘しました。
「君は大切なことを理解していない。音楽と正面から向き合い、格闘することは、すなわち音楽を心から楽しむことなのだ」と。
そのときシュトレーゼマンは、その指揮(カリスマ性)によって、千秋が落ちこぼれ集団だと思っていたSオケメンバーを素晴らしい高みに引き上げてしまいました。
全体の調和と高い目標をめざして、今ある演奏能力を100%以上に振り絞る場面を、千秋は目の当たりにしたのです。
百戦錬磨の巨匠にして、はじめて可能になる指揮! そのとき、オケのメンバー全員は集中し、心から楽しみ輝いていました。
こんなせりふは、経験を積み奥義を窮めた大巨匠にしてはじめて口にすることができるものなのでしょう。若い千秋には、すぐには飲み込めない指摘です。
しかし、シュトレーゼマンの飛び抜けた力量には感動したようです。千秋は、シュトレーゼマンに強引に転科願を出して、弟子なります。
その後も、いろいろと悶着やら苦悩やらがあったのですが…
結局、演奏会を目前にして千秋が学んだことは、
Sオケのメンバーの技術には未熟なところが多いが成長過程にある、努力するようになった。自分らしさを出したいという意欲もあるいます。
だからそのときのベストを出せるように、演奏者自身が喜びを感じるような場を設定することが指揮者の務めなのだ、と。
そのときそのとき、1人ひとりの個性、強みも弱みも、あらゆる限界もひっくるめた個性をまるごと受け入れて出発して、目標とする高みに導いていく。
いや本人たちが喜びや楽しみ、充実感を感じながら、内発的に成長を目標として掲げることが大切なのだ、ということでしょうか。
いやにならずにその後も成長すれば、そのとき感じた満足感にはあきたらなくなり、むしろ自分の限界を知るようになり、さらなる成長をめざすようになるはずなのだから、と。