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よりにもよって、そんな貴公子が、同窓生からは「変態」とさえ呼ばれる変人、野田恵にしだいに魅了されていくのです。なんで?
千秋真一は、他人の中に潜む(眠る)才能や素養をじつに鋭く見抜く、卓越した観察眼というか音楽家としての天才的な鑑識眼をもっています。
音楽的資質を見抜く能力は、やはり指揮者にとっては最も大事なものかもしれません。
だから、のだめの類まれなピアノ演奏家としての才能(天才)を発見してしまったのでしょう。
「磨けば光るダイアモンドの原石」。あの才能・素質をなんとか開花させなければいけない・・・と思うようになります。
だが、本人はすこぶる素朴に「ピアノは楽しく弾ければいいんだ」と決め込み、演奏家・プロへの道を求めずに、幼稚園の先生になりたい、と望んでいるのです。
いや、厳しい修練が必要な、そして熾烈な競争に投げ込まれるようなプロ演奏家への道が怖くて踏み出せないままにいるのだというべきでしょう。
真一は、その理由はわからないのですが、自分の才能を自覚もしなければ、訓練努力への道を逃れようとする「のだめ」が気になってしょうがありません。
なんとか、あの才能を引き出し開花させようと必死に考えることになります。そして、いつの間にか指導を買って出る。
だが波長が合わずに、しょっちゅうケンカする。
というよりも、千秋がのだめにきつい要求を出すことになります。
一方のだめは、千秋を恋するようになるのですが、むしろ一方的な子供っぽい恋心でしかないように見えます。
これに対して真一としては、むしろ彼女の才能と個性を惜しむ気持ち、同情に近い心情というべきでしょう。
ということは、真一は、鼻持ちならない一面は持つが、根はすごくいいヤツなのですねえ。本人が気づかないような資質や才能に目を向けて、成長させようとするのですから。
生まれながらの指揮者だといえるでしょう。
というのは、
すぐれた指揮者は、オーケストラという全体のバランスや美しさを構想します。
そして、あれこれの演奏家たちの特性や個性、長所・才能を見抜きながらそれを引き出し育てることをめざし、
自分の構想体系のなかに統合(位置づけて配置)する才がなければならない、というわけですから。
他者、しかも大勢のメンバーの才能を見抜くこと、その素質が彼には備わっているということです。
そういう能力や苦労が、それこそ《オーケストレイション》の真髄なのではないでしょうか。
ところで、社会学の用語としてオーケストレイションには、「複雑で大がかりな組織やシステムを全体的に調和させて統合する機能」という意味合いがあるのです。
まあ、それでも、千秋がのだめとの恋に落ちていく道筋は謎です。
よりにもよって、のだめを選ぶなんて!?・・・
その摩訶不思議な理由というか、いきさつを物語るドラマなのです。