私は、もう35年間くらい、池波正太郎の熱心な信奉者です。
いったいに「江戸もの」小説が好きで、池波さんの作品はもとより、山本周五郎、柴田錬三郎、藤沢周平、澤田ふじ子ほかの作品は、ほとんど読んでいると思います。読んだ分量は、文庫本にして600冊以上になるでしょう。
そのなかでも、池波正太郎の『鬼平犯科帳』は、もう何十回も読み返しています。
池波さんの作品にとりわけ惹かれたのは、江戸の街並み、庶民や武家の生活を彷彿とさせる描写がきわめて多いからです。
池波作品は、今の江戸もの時代小説と比べて、書き込み量が非常に少ないのです。肝心なことしか書かずに、私たちに想像力を働かせ、行間を読むように仕向けているのです。
私は、余暇があるときは、「江戸切り絵地図」を傍らに置いて、事件や物語が繰り広げられる場面の場所、町筋、道、近隣の風景を思い描きながら、じっくり読みます。そのさい、杉浦日向子さんの「江戸解説書もの作品」を参考書代わりにすることも多いのです。
要するに、私は「江戸の風俗」「江戸の暮らし」を楽しんでいるのです。
そんな人間にとって、時代考証や背景描写のしっかりした映像作品は、なによりの楽しみです。私にとって吉右衛門主演の「鬼平犯科帳シリーズ」は、そんな意味合いというか価値をもつ作品群なのです。
制作スタッフが、時代考証に多大な精力を傾注し、背景描写に適した風景を苦労して撮影しているのが、強く心に響いてきます。
このシリーズで一番のおススメは、エンディングテーマ。
ジプシー・キングズの「インスピレイション」という曲の、どこか哀調を帯びた軽快なギターの音色を背景に、江戸の四季折々の風物が描かれるのです。
春は梅の花、そして桜、これがどこかの寺院(伽藍)の境内の風景や水辺の景観とともに描かれます。そこに人びとの暮らしの一端が絡んでいるのです。
初夏は梅雨。煙る小ぬか雨に、これまた水辺の菖蒲や人びとの傘姿が絡みます。
真夏は、どこかの寺院か神社の境内で、蕎麦をすする粋で「いなせ」なお兄さんの姿。かたわらを夏の風物の担い売りが通り過ぎます。
晩夏から初秋は、夜の花火。
秋は紅葉。着飾った女性たちの紅葉狩りの光景。
冬は夕暮れ過ぎの路地。しっぽく売りの担ぎ屋台の前で客が熱い蕎麦か饂飩を食べています。雪が舞っています。道の傍らを荷車が行き過ぎます。
それぞれに光景を少し変えた別ヴァージョンがあります。
美しい日本の四季の風物が描かれ、なにやら心は遠い過去に、子どもの頃に旅立ちたくなるのです。
撮影場所は、京都の寺院などらしい。
19世紀後半まで、江戸は江都とも呼ばれ、親水都市だったといいます。つまり、物流体系の基本は水運で、河や運河、掘割、水路が縦横無尽に走っていました。
神社仏閣も多く、千代田城の周囲には、重厚な武家屋敷を樹木やうっそうとした森が取り囲んでいました。
商人街はその外周りで、隅田川を東限として、浅草、下谷、本郷、雑司ケ谷、四谷、日比谷、赤坂、芝などの外側は、純然たる郊外、深い雑木林や田園に囲まれた農村でした。
江戸後期になると、例外的に、本所や深川を開拓して、都市集落がつくられ始めました。
17世紀前半までは、いまの東京駅、日比谷のあたりは遠浅の海でした。新橋駅も品川駅も、当時は海の底だったのです。
大都市江戸の塵芥の埋め立て場所にしたり、浚渫土砂で土地造成したりして、深川から芝あたりまでは少しずつ陸地になっていったようです。