さて、物語に戻ります。
繁蔵が瀕死の重傷を負ったのは、壁川の源内という盗賊の首領の反発と恨みを買ったためです。それは、蓮沼の市兵衛と壁川の源内との因縁、敵対関係に起因していました。
蓮沼の市兵衛は、「殺さず、犯さず、傷つけず、貧しきからは奪わず」という原則を守り抜く盗賊で、1つの盗み(「つとめ」という)に少なくとも3年、長ければ5年以上の年月をかけて準備してきました。
風のごとく侵入し、霧のごとく立ち去る。そして、被害者と商家などが経営破綻しないように、当面の資金繰りに要する金額は残していったということです。そのため、盗みに入られたことを半年間も気がつかなかった豪商もいるとか。
入り際、去り際があまりに水際立っていたため、容疑者特定追捕の手がかりとなる証拠はほとんど残さず、それゆえ、奉行所の捜査記録では、市兵衛の盗みがこれだと確定されたものはないというのです。
だが、年老いた市兵衛は今では隠退同然になり、数十人いた直属の手下はしだいに離れていきました。
離れた盗人のなかには、暴力と殺戮、破壊や火付けを厭わない悪辣な強盗団の仲間になる者もいました。鹿間の定八が、そんな1人だったのです。
定八が取り入ったのが、壁川の源内です。
源内は、押し入った先の商家の家族・奉公人を皆殺しにしたり、女性を強姦したり、家屋の破壊や放火をしたりすることを少しもためらわない盗賊でした。
源内は、以前は機内や中国筋で盗み働きをしていましたが、飛躍的な経済発展を遂げた江戸に乗り込もうとしていたのです。その橋渡しのため、提携相手として、市兵衛を頼ろうとしたのです。
しかし、市兵衛は、源内一味の「畜生働き」を嫌悪・忌避して、提携申し入れの使者として訪れた定八を追い返しました。
ところが源内はあきらめず、執拗に定八を差し向けてきました。市兵衛自身は、使者にも会わず、繁蔵を「断り役」にしていました。
その繁造が、ついに源内の隠れ家に乗り込んで「もう近づくな」と訣別の挨拶をした帰りに、源内の手下たちに襲撃されたのです。
さて繁蔵は、昔馴染みの彦十に自分が源内一味に襲撃されたことを市兵衛に知らせてくれと頼みます。彦十は繁蔵の危難を市兵衛に知らせるため、繁造の手紙を預かって、神田鍋町の鞘師長三郎を訪ねました。
そこが、市兵衛の隠れ家というか隠居所でした。
長三郎は、彦十の風体人柄を検分してから、二階に住まう市兵衛に引き合わせました。
市兵衛は、白髪頭で品の良い小柄な老人で、彦十に丁寧に礼を述べました。
彦十は、盗みの芸術家ともいえるこの伝説の大盗賊の品格に圧倒され、思わず頭を畳にこすりつけてしまいました。
ときには長谷川平蔵にさえ「鉄つぁんよう」と気安く話しかける、あの、人を食ったような食えない彦十が、です。
繁造の災難を知ると、市兵衛は、長三郎とその配下の若者(万造)を彦十の案内で五鉄に赴かせました。五鉄にやって来た2人は、事件の顛末を繁蔵の口から聞き出し、戻って市兵衛に報告しました。
ところで平蔵と火付盗賊改方の面々は、古い探索記録から、蓮沼の市兵衛の伝説を裏付ける情報を収集していました。
平蔵は配下を動かして、五鉄の近隣に見張り所を設け、変装した同心や密偵を要所に配置し、市兵衛と源内の動きを探索し始めました。
彦十は、頻繁に平蔵の役宅に出向き、繁蔵をめぐる事態の経過を報告しています。