市兵衛一行で生き残ったのは、長三郎と万造だけでした。
結局、盗賊どうしの討ち入り合戦で生き残った者どもは、全員火付盗賊改方に逮捕され、取り調べられました。
市兵衛の仇討ちが成就したことから、長三郎と万造は覚悟を決め、火付盗賊改方の尋問に潔く洗いざらい告白・証言しました。
それから何日かのち、取調べが終了しました。
2人は、火付盗賊改方の長官、平蔵と対面することになりました。2人は平蔵の顔を見て驚愕しました。討ち入りの助っ人、木村忠右衛門ではないか、と。
平蔵は、長三郎と万造に取調べ中の態度が神妙であったと話しかけ、警護役に2人の縄を解けと命じました。放免となったのです。そのうえで、2人に50両を下げ渡して言いました。
「この金で市兵衛と仲間の墓を建てて、回向してやってくれ」
その金は、討ち入りの助っ人となった平蔵に市兵衛が渡した謝礼金でした。
平蔵の温情と真心を感じた2人は、その場で泣き崩れました。
のちに2人は平蔵の密偵となって活躍したとか。
さてここで、長谷川平蔵を演じる歌舞伎役者、中村吉衛門のことについて述べておきます。
品が良いが、どこかに凄みのあるお坊ちゃん(殿様)役がじつにうまい。
というか、地で演技できる強みがあると思います。とへいえ、それは、持って生まれたというよりも、歌舞伎の世界・家柄で幼少の頃から厳しい修練を積んで聞きたがゆえの雰囲気、パースナリティなのですが。
なかでも凄いのが、殺陣、チャンバラのシーンの動きです。迫力=大胆さと精妙さ、美しさ…歌舞伎で仕込まれた無駄のない動きは素晴らしい。
勧進帳の弁慶の役で、長身を生かしたスケールが大きく同時にきちんとした様式美を表現する技能が、ここで生きています。
歌舞伎役者の家に生まれて幼時から芸を仕込まれたことから、動きや表情、立ち姿が「様式美」を現すべく決まっています。
しかも、それらには彼独特の遊び、伸び伸びとした個性が光る。いい意味での「坊ちゃん」の雰囲気と、次男坊のやんちゃさ、したたかさ、野趣が出ています。表情から、品のいいユーモアも漂います。
テレヴィ・ドラマ「鬼平犯科帳」シリーズのすばらしさは、原作、脚本、時代考証、ロケ場所の設定などに見ることができます。手を抜かないつくり方です。
それをさらに引き立てるのが、役者たちの個性と演技で、登場人物の役(キャラクター)づくりと相互の関係を示す仕草、表情などです。
まず中村吉右衛門が醸し出す雰囲気、そのキャラクターの妙味、個性、凄み。
それらが、共演者との「かけ合い」のなかで俄然発揮されるのです。
今回の作品で一番にあげられるのが、彦十=江戸家猫八とのやり取りです。
「食えない爺さん」彦十は、平蔵が「若気の至り」で仕出かした悪さの「共犯者」でした。しかも、腕っ節も気風もいい平蔵(鉄三郎)に子分として取り入って、甘い汁を吸い取っていた「ちゃっかり者」でもあったのです。
だから、火付盗賊改方の長官である旗本、長谷川平蔵の権威と人格に畏敬し威圧されながらも、ときに、昔のなれなれしさ、気安さが出てしまうわけです。
「鉄っつぁん」「長谷川様よう」というセリフは、彦十以外には使えない。これに、平蔵も「おめえ」「おい、彦!」と受け答えします。微苦笑をともなって。
私は、平蔵と彦十とのかけ合いという場面で、吉右衛門の茶目っ気、そして猫八の芸の深みが一番みごとに発揮されると思っています。
この作品でも、最終場面で、平蔵と彦十がそろって繁蔵の墓参りをするところがあります。
繁蔵の墓標の前で彦十が祈り終えてから、平蔵に向かってつぶやきます。
「いい人たちはみんな、早く亡くなっちまった。俺は、少し長く生きちまいましたかねえ・・・」
彦十は、また1人昔の知り合い=仲間を失い、孤独感にひしがれているのです。
だが、平蔵は彦十に語りかける。
「おい、彦、おめえは死ぬにはまだ早え!」
元気に生き続けろ! というのです。
彦十は、平蔵の思いやりを知っています。気を取り直して、
「わかってますよう、わかってますよう、鉄っつぁん」
若葉が生い茂り、新緑がまぶしい頃合いでした。
| 前のページへ |