それでは、ドラマの物語に入りましょう。
ここでは、ストーリーの展開を追いながら、従来の「時代劇」では等閑視されてきた、江戸時代の社会のリアルな実態をも解説しようと思います。
ある春の夜、おりからのどしゃ降りで、本所二つ目の軍鶏鍋屋の「五鉄」は店を早仕舞いしました。
ところが、帰宅しようと小おんな(女中)が表戸を開けたとき、井戸端に男が倒れていました。その男は刃物による深手を負っていたのです。
主の三次郎と小おんなが、急いで男を店のなかに運び入れ、手当てをしようとしました。
するとそのとき、この家の二階に居候している老人、相模の彦十が騒ぎに驚いて、階段を降りてきました。気を失っている男の顔を覗き込んだ彦十は、驚きました。
なんと、その男は、松戸の繁蔵という昔の盗人仲間で、20年ぶりに出会ったのです。
彦十は、すぐさま火付盗賊改方、長谷川平蔵の役宅に連絡をつけました。
彦十はいま、火付盗賊改方の密偵を務めています。長谷川平蔵とは若い頃からの因縁があります。
彦十はもとは盗賊で、二十数年前には、義母との折り合いが悪くて旗本の実家を飛び出し、荒くれ生活を送っていた平蔵の取り巻きの1人だったのです。
平蔵はその頃、鉄三郎といっていました。鉄三郎は父、宣雄が手をかけた女性が生んだ子で、父親の家に引き取られたものの、嫉妬深い義母から残酷な仕打ちを受けていたのです。
ただ1人の男子だったのですが、妾の子ということで、義母とその一族が反対したため、鉄三郎は長谷川家の嫡子としては認められなかったのです。
いたたまれず家を飛び出した鉄三郎は、本所界隈で荒くれ者に交じって荒んだ暮らしに明け暮れていました。
その頃の荒れくれぶりについて、「いま思い出すと、総身に冷や汗がにじむ」と平蔵はしばしば述懐します。
いわば非行少年だった頃の悪仲間、彦十には、平蔵も頭が上がらないところがあるようです。そして、2人には、身分の差を超えた絆があるように見えます。
古だぬきの彦十は、したたかで「食えない爺さん」でもあります。生前の先代の江戸家猫八が絶妙の演技を見せています。
もっとも、享保の末期には、江戸在住者のあいだで武士と町人(商人)などとの身分差意識は、日常生活ではほとんど意味を失っていたらしいのです。
経済や文化で町民と武士との格差が解消されていき、むしろ固定された俸禄米による収入しかなかった武士に比べて、町民(とりわけ商人や職人)の方が豊かで影響力が大きくなっていたからです。
寛政時代には、一般江戸居住者の意識から、身分差がいよいよ解消し始めました。それは他方で、商品経済の発達と、それにともなう貧富の経済的格差が目立ち始めていた状況をも意味するのですが。
江戸期には、身分ではなく「職分(職能による仲間団体)」による階級制度が形成されていたのです。
ゆえにこそ、飛び抜けた上層身分出身の松平定信が、武士の威信を回復し、商人階級の経済的権力を抑制ないし制御する「改革」を、強引に進めたのです。
しかし定信は、「徳川の平和」すなわち幕藩体制が確立されている以上、所領や天下覇権の争奪戦を担う戦士階級としての武士の存在価値はとうに失われていて、武士は統治を担う行政官吏(官僚)として存続するしかないことも痛切に自覚していたようです。
「士農工商」の身分差についての観念は、明治政府がその文明開化と支配の正統性を強調するために、かなり誇張して歴史書や教科書に記載したことから、現代人の意識に沈殿してしまったらしいのです。
それをまた「御用左翼学者」たちが利用して歴史観を組み立てたので、実際の歴史ではなく、一面的なイメイジが固定されてしまったわけです。
私たちは、明治政府のイデオロギー操作に束縛されて、長い間、江戸の生活と文化に誤った「先入観」をもっていたようです。日本の江戸期は、ヨーロッパの近世・近代市民社会とかなり似ていたというのが実相なのです。
江戸に長く暮らす人たちは、よほどの上層身分を除けば、武士も町人も、大方は江戸市井人としての関係を取り結んでいたといいます。
太田南畝にしても安藤広重にしても、武士でありながら、芸術肌の職人のようなセンスと粋を身につけたのは、そういう理由からです。