アルベルト・アインシュタインは宇宙の幾何学的把握を試み「重力波」と重力による空間の変形・歪み・凝縮などを予見した。今では、これらの重力に関する予見はほぼすべて観測されているようだ。
いまから65年も前に、科学者でもあるSF作家、フィリップ・ディックは、この理論を援用して、重力による宇宙空間の歪み・圧縮と光の屈折の論理をもとに、じつにみごとな物語を描き出した。脳科学やサイバー・システム科学に関する知識と発想もものすごい!。天才とは、そういうものなんだろうが。
それが今回取り上げる映画作品『ペイチェック(2003年)』の原作 Philip K. Dick, Paycheck,
1952 ――『ペイチェック』1952年刊――だ。「ペイチェック」とは文字通り「支払小切手」であり、一般的には仕事の対価としての支払いのための小切手、つまり「報酬小切手」だ。
物語を乱暴に圧縮すると、
ある天才プログラマーが、ある大企業からの依頼で、重力レンズを利用して光を加速し未来の光景を少しだけ早く覗くコンピュータ・ディスプレイ・システムを開発した。その男は、このシステムが逆に国家間の先制攻撃の発想を増幅して世界核戦争に導く危険性をもたらすことを知り、自分が開発したシステムを破壊しようとする冒険を描いた作品
ということになる。
天才的なコンピュータ・システムの企画設計者のマイケル・ジェニングズ。この物語の主人公だ。
彼は、完成したシステムのイメイジを想定し、そういう結果イメイジから逆工程手順で分析して、システムの設計プログラミングをおこなう。でき上がった結果イメイジを目標にするのは、普通の方法だと思うが、かれはものすごく緻密な遡行とプログラム設計をおこなうようだ。
彼は、この方法を「遡行ないし逆行設計( reverse engeneering )」プログラミングと名づけた。
ところで、彼に設計プログラミングを委託発注する企業としては、この開発をめぐる知的財産権(特許権)を完全に保護し、開発者のマイケルが設計に関する知識を勝手に私用・悪用しないように、システムの完成・納品後にマイケルの開発をめぐる記憶を全部消去することになっている。
それが発注契約と報酬支払いの条件となっているのだ。
A I ・ I T テクノロジーが飛躍的に発達した未来社会では、人間の脳の記憶のある部分だけを、生化学的=電磁的装置によって、ハードディスクのファイルメモリーを消去するように、消去できるようになっているのだ。スキャナーと生化学的処理による処置だという。
しかし、物語の進行のなかで、消去できるのは、ディレクトリなどにあたる、ある記憶の再生・呼び起こしの手順や経路に関する知覚・記憶――タグ演算子――であって、記憶そのものは脳内に封じ込められたまま残るらしい。それもまた、ハードディスクと同じみたいだ。
いずれにしても、企業秘密としてのシステム開発手順についての情報の安全性は、開発完成・契約完了後の記憶消去によって固く守られるようになっている。
通常、マイケルは、依頼企業の研究開発施設に2〜3か月のあいだ閉じこもりきりになって――顧客企業側の秘密厳守のための監視を受けながら――システムの設計・プログラミングをおこなう。そして、システムの完成後に正常な起動運用のクォリティ(適格性)を確認検査したのちに、記憶を消去され、それと引き換えに莫大な報酬(ペイチェック)を受け取ることになっている。
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