ところで、この物語ではマイケルは、システムの開発完成直後に見た「少し未来の出来事」があまりに悲惨な結果を招くことを知って、システムにエラーを仕込み、さらに破壊しようとした。
してみると、破滅的な未来の姿の予見画像が、そういう未来が来ないようにするための行動をマイケルに取らせたことになる。ということは、破滅的な未来への経過をたどる因果関係の連鎖を知ることによって、そういう因果関係の連鎖を組み換える意思を与え、その結果、そうなるはずであった未来―― would-be future ――が実現しなくなったわけだ。
これは深刻なタイム・パラドクスにほかならない。タイムパラドクスという前に、そもそも論理の矛盾だ。論理の矛盾性を説明しよう。
まず「Aという結果の未来」への因果連鎖の経過がある。これを「未来@」と呼ぼう。
ところが、その未来@への過程を知った者が、「Aという結果の未来」にならないように行動して因果連鎖を組み換えて「Bという結果の未来」への経過を生み出した。こちらの未来図の方を「未来A」と呼ぼう。
すると、未来@への流れが、未来@にはならずに未来Aとなるように因果律を仕向けていく原因となったわけだ。つまり、未来@と異なる未来図があったら、未来Aは実現しなかったはずだ。
という具合に、SF物語で未来や過去を変形しようとすると、タイムパラドクスが生じることはもちろんだが、そもそも因果律におけるパラドクスが起きてしまうのだ。これは、時間移動や未来予見の筋立てを使う物語のいわば「常識」だ。
そうすると、もし未来予見装置が、未来@の画像を見せたことでマイケルが行動を起こして未来Aになる未来図までを予見するのだとしたら、未来Aの画像を映し出すはずだ。
ここで問題は、「ほんの少し先の未来」とはいったいどれくらい先の未来をいうのだろうか。この装置が見せてくれる未来までのタイムスパンはどれくらいの差さなのか? ということだ。
具体的には、こういう疑問だ。
マイケルが行動を起こすよりも前から因果律が始まる未来を見せる設定なのか、ということだ。ところが、未来@の姿を知って因果関係を組み換えようとする決心をした時点から始まる因果律なら未来Aを見せるだろう。
悲惨な未来図を見て、「これではいかん」と行動を起こそうと決心するまでにはほんの数瞬しかかからないだろう。数秒の差だ。しかし、その数秒の差で未来@は消えて未来Aに変わってしまうのだ。
こういうふうに過去・現在・未来の因果関係の連鎖すなわち因果律を考え始めると、頭が混乱しまくってしまう。悪循環が繰り返すのだ。
あくまで論理の上での仮定だが、この宇宙のすべての要素、巨大な銀河系や銀河団の動きから始まって、人間の動きも含めて、素粒子レヴェルの動きまで、瞬間瞬間の各要素の動き方、反応の仕方をどれかひとつを少しでも変えたら、その瞬間から別の因果律が動き始めることになる。素粒子ひとつの動きの仕方で無限に異なるパターン未来図が描かれていくことになる。
それは、それだけ異なるパターンの未来を持った宇宙ができるということだ。もしこれをパラレル・ユニヴァースというなら、素粒子の振動の瞬間ごとに無限に異なるパラレル・ユニヴァースが生まれていくことになる。タイムトラヴェルや未来予見のプロットを使った物語に出会うと、私はこういうふうに頭が混乱しまくるのだ。
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