ところが、クラス・オピニオン雑誌、 《ランウェイ》 編集部の実情は、ジャーナリズムを志向するアンディの期待とは、正反対だった。
クラスマガジンとは、セレブ階層を中心にハイクラスを自認する人びとを対象読者とする雑誌で、オピニオン雑誌とは、まさに世論形成をリードする有力な出版物という意味だ。ここで「クラス」とは、「社会階層」あるいは「統計上の階級」という意味のほかに、「特別に選ばれてコミットメントを許された人びと:
classified people 」という意味が含まれている。
ただし、ファッション界についてのだが。
さて、《ランウェイ》の編集長、ミランダ・プリーストリーは、商業ファッション界のカリスマで、編集部の面々からは「プラダを着た悪魔」と呼ばれて恐れられていた。そして、アンディは、編集助手ではなく、ミランダのパースナルなアシスタントとして採用されたのだった。
組織の名目としては「編集助手」なのだが、何しろ専制君主として君臨する編集部での立場は、君主に仕える侍女という実態になるのは避けがたかった。
こうして、アンディは編集や取材や記事執筆とはまるきりかけ離れた仕事に追い回されることになった。
ミランダの傍若無人な専制君主ぶりといったら、ヨーロッパの絶対君主ルイ14世も顔色なからしめるほどの凄まじさで、部下や助手に対しては、無理難題を押し付けて、結果に対しては激辛の評価を投げつけていた。編集スタッフの面々は、ミランダの飼い犬よりもずっと下位の扱いを受けていた。
ミランダは思いついたアイディアをすぐにアパレル業界に伝えて製造させ、写真家や装飾家を呼びつけて、言いたい放題の指示を出す。しかも、制作過程でコンセプトは二転三転する。女性らしいと言えば女性らしい性格だ。
ところが、どんな無理をも通す意気込みでつくられたミランダのファッション・モード原案は、必ずアメリカと世界の流行モードになり、何千億ドルという収入が業界にはついて回ることになる。この世界では、ミランダは神様、いや、神様よりもミランダの方がずっと偉いのだ。
要するに、ミランダの権威と権力は、次の新しい流行モードを企画提案し、それが多くのセレブ女性の心をつかむことができるという才能にもとづいているのだ。とはいえその神通力は、ファッション界の共同主観=共同幻想=価値観に呪縛されたファッション・エリート層だけにはたらくものであって、私のような朴念仁にとっては「馬耳東風」にもならないのだが。
というようなしだいで、編集部というのは名ばかりで、実態はミランダが完全に独裁体制を敷いている。編集の仕事をしているのはミランダだけで、スタッフたちは彼女の従順な下請けとしてレイアウトや文章作成、写真撮影などをしているだけなのだ。