演技方法と物語性 目次
「真に迫る演技」とは何か
物語性と演技との関係
演技とは何か
人物造型を表現する演技法
人物像を演じ切るために
人物のぶつかり合い
『大誘拐』の人物たちと演技
人物像・存在感と演技

「真に迫る演技」とは何か

  映像物語、映像劇としての映画を語るうえでは、物語のリアリティとか物語の展開と演技との関係、あるいは登場人物の存在感と演技方法との関係について考察しなければなるまい。
  これは映画だけではなく、舞台劇やドラマ全般にかかわる問題だ。
  言うまでもなく、映画も含めた演劇にはリアリティを追求する物語だけでなく、喜劇もある。物語や状況設定、人物配置について、意図的に――観客への印象を強めるために――現実感からのズレや逸脱をねらう作品もあるだろう。

  とはいえ、観客に感動を呼び起こすためには、劇の物語や人物について観客に側に感情移入や共感を生じさせる必要がある。少なくとも登場人物の独特の存在感や魅力を感じさせる必要がある。ここでリアリティ――説得力のある存在感――とはそういう存在感を意味するものとしておこう。
  そのためには、まず第一に脚本が、登場人物の存在感――人格や性格――つまり人物像を明確に描き出す状況設定や筋立て、人物配置をしなければならない。ここで考える前提として、そのような台本はすでに与えられているものとしておく。そして、それを独特の存在感のある物語や状況設定にするための「肉付け」「具現化」としての演技の役割と方法について考察することにしよう。
  ここでは「演技」には、役者の外形的な動き・言動だけでなく、演技を方向づける心理や精神的な態度、肉体的な状態も含めることにする。

  だがそれにしても、演技論はあまりに難しい問題領域根なので、これまで避けてきた。あえて私が賢しげに論じることもなかろうと。物語の分析や状況・人物設定について考察しておくだけでいいだろうと。
  とはいえ、避けては通れない領域である。登場準物の言動(演技)に説得力や存在感がなければ、物語の進行をさまたげてしまうし、設定されている状況を観客に理解させることができないからだ。
  というわけで、ここでは演技の方法と物語の展開との関連について、これまた勝手な解釈と評論を捏ね上げてみる。

物語性と演技との関係

  ここであつかうのは、映画作品のための物語( story / drama )と演技( role-playing / act )――もと正確に言うと、物語との関連における演技にありよう――である。そして、物語が登場人物たちの言動と人物たち相互のかかわり合いをつうじて織りなされ表現れる限り、演技は物語性の不可欠の、ほとんど本質的ともいえる構成要素となるだろう。

■映像物語とは何か■
  映像物語としての映画作品を考えるためには、まずもって物語それ自体が何なのかを語らなければならないかもしれない。
  では、物語とは何か。
  人びとの言動によって織りなされる出来事の経緯であり、因果関係や起承転結という流れ、あるいは組み立てのあるエピソード(の集合)である。
  物語は、戯曲=演劇によっても、小説によっても、オペラや楽劇によっても、表現される。文字としての言葉、音声としての言葉によって人の行動や姿が語られ、事件の意味や人物の心理が描かれる(暗示される)。
  したがって、必ず(少なくとも背景には)文脈がある。因果関係や起承転結、すなわち言動や場面を結びつけ、一連の流れに連結する連関、登場人物たちの言動や心理を必然ならしめる状況(歴史と社会)がある。

  では、物語は、何をめざしているのか、物語が求めるものは何だろうか。
  人びとの共感や感情移入を呼び起こし、登場人物の心理や性格について考えさせ、人生や社会(世の中)について観客に何がしかのイメイジを抱かせることが目的ではないだろうか。
  物語の作り手や語り手は、物語の観客や聞き手に共感――何がしかの感動を与えようとする。それは感銘・情感を共有してもらうためということもあろうし、何らかの人生観や世界観を理解・共有してほしいということもあろう。
  説得のため。あるいは扇動のため、つまりプロパガンダのためということもあろう。
  要するに、作品としてすぐれているものには、必ず物語の作り手の側の一定の価値観や人生観、世界観などのメッセイジが込められていることになる。

  そのための形――視覚と聴覚に訴える上演――としては、喜劇、滑稽劇、悲劇などがあり、人びとの心に安心感や愉快な気分、笑い、あるいは恐怖、驚愕を呼び起こすできごとや筋立てが準備されている。
  そうすると、映画=映像物語とは、どういうものだろうか。
  物語=劇を実写やアニメイションなどの映像にして編集構成することによって、以上のような目的を追求するための一連の作業――脚本・演出・演技・撮影・編集など――であり、その結果成り立つ上映作品だ。
  そして、映画がすぐれて現代的な社会現象であり、現代資本主義的文明の所産であってみれば、詮じつめれば、経営体による利潤獲得の手段、1つの形態として営まれているということになる。

  とはいえ、資本主義的経営の1つの形態=手段であるという次元の問題は、ここではひとまず脇に置いておく。映像劇=映画の物語の進行と展開を示すことに内在的なことがらだけを扱うことにする。
  映像物語にしても舞台演劇にしても、小説にしても、物語が観衆に対する説得性や訴求性をもつためには、リアリティや存在感など、感情移入――嫌悪や拒否感などネガティヴな感情移入も含む――を呼び起こす道具立てが必要になる。あるいは、興味や好奇心を呼び起こす、人びとの想像力を刺激するといってもいいかもしれない。
  人びとが目の前で展開している出来事に引きつけられなければならない。そのためには背景やセットなどの舞台美術装置が必要なのは言うまでもないが、ここでは人物の言動がもたらす説得性・訴求性に焦点を絞ることにしよう。

  物語を織りなす出来事が人びとの言動の絡み合い・相互作用――もちろん独り劇もあるが――から構成されるとすれば、人びとを引きつけるのは、登場人物の「言動のありよう」であり、つまりは役者の演技のリアリティや存在感、訴求力・説得力が求められることになる。
  物語がどれほど奇想天外でありそうもないような事件を描こうとも、各シーンやシークェンスに人びとを引きつけなければならない。そのさいに、見る側の関心や共感を呼び起こすような人物の存在感は決定的な重要性を持つだろう。

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