演技方法と物語性 目次
「真に迫る演技」とは何か
物語性と演技との関係
演技とは何か
人物造型を表現する演技法
人物像を演じ切るために
人物のぶつかり合い
『大誘拐』の人物たちと演技
人物像・存在感と演技

人物像・存在感と演技

  こうして、この物語では、誘拐団の若者たち、おばあちゃん、和歌山県警という3つの大きな陣営の目論見・願望・意図が出会い、ぶつかり合い、絡み合うことになっている。
  三者の周囲に配置された人物たちは、いずれも個性豊かな面々で、物語の展開に広がりと奥行き、彩りを添える。
  ごく普通の不器用でまじめな青年たちは、家庭環境に恵まれず厳しい少年時代の境遇のなかでケチな犯罪をおこして刑務所に入ってしまった。そして、誘拐計画も、あくまで律儀でまじめである。誰をも傷つけず、約束は必ず守る。法を破るのはこれっきりで、社会復帰のため。そのために、絶対に捕まらないために、フェアプレイを貫こうとしている。

  いや、主要な登場人物たちは、すべて律儀で正直でまじめで好感のもてる人びとだ。
  大富豪の跡取り娘として生い立ち、修羅場もくぐり抜け、大がかりな資産の運営・経営を成功裏に切り回してきた、おばあちゃんの風格と人生が、品よく抑制されながらも、みごとに表現されている。
  そして、事件では、おばあちゃん・若者グループと対決する警察本部長、腹の据わり具合や読みの深さ、組織統率の妙技、部下あしらいのうまさなどが、にじみ出てくる。

  さて、意図や思惑そして個性のぶつかり合いの構図は、上に見たとおり、じつに鮮やかである。
  では、喜劇タッチであるからということで、俳優たちの演技は大雑把かというと、さにあらず、じつに細部まで磨きこまれ整序・コントロールされている。もちろん、人物配置と対峙の構図が明確になるように、人物像はそれぞれ――滑稽なくらいにパターン化され――際立ったスタイルに造形化されている。
  だが、じつに奥行きや膨らみのある人間像をそれぞれつくり出している。
  見る側には、ものすごく説得力がある人物たちの出会いと絡み合い、ぶつかり合いである。


  たとえば、山のなかでお付きの女の子(喜美子)とともに誘拐団によって拉致されようとするときに、おばあちゃんは、喜美子には手を出さないようにと説得し、合意すると誘拐団との「手打ちの式」(三三七拍子)を取り仕切る。ありえないファンタスティックなシーンだ。
  腹の据わりかげんと人間としてのスケイル・包容力を見せつけるシーンだ。この「手打ちの式」を切り出すタイミングと表情、せりふの言い回し方、北林谷江の演技は圧巻である。
  そして、その「手打ち」の提案にうまく乗せられてしまう誘拐団の人の良さとまじめさも、また巧妙に演じられている。

  そして、誘拐団からの身代金要求の手紙(100億円を要求)の提案にしたがって、和歌山テレヴィの番組で誘拐団に逆に「挑戦状」を叩き付け返す井狩の、誠実だが豪胆な態度、迫力。緒方拳の演技は見ものだ。

  このほか、
  おばあちゃんの脛をかじるだけかじってきたボンボンの役を、独特の気品と斜に構えたインテリの風貌、粋さかげんを備えた大作役を岸部一徳が、これまた見事に演じている。
  おばあちゃんをひたすら信じ尊敬するクーちゃん(中村くら)役を演じる樹希木林の存在感がすごい。
  喜劇なので、人物像はいささか誇張気味に描かれている。登場する役者たちは、誰もが見事にツボを押さえている。しかも、誇張と自己抑制のバランスが絶妙である。

  やはり、日本の演劇人は、映画では、欧米流のリアリズムよりも、いやそれに比べて、喜劇タッチの軽妙な演技に長じているのだろうか。

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