ファーガスンは大金を積んで「業界ナンバーワン」の殺し屋、ヴィクターにロウズの殺害を依頼した。
ヴィクターからしてみれば、簡単な仕事のはずだった。
ところが、運が悪いというかタイミング悪いというか、たとえばライフル銃で狙えば、引き金に指をかけた瞬間、ロウズの前を人が通ったり……というようなことで、何度も失敗してしまった。
ところで、今度の殺しの依頼の直前から、ヴィクターの身の回りで変化が起きていた。
1つ目は、母と別居した暮らしになって生活スタイルが変化した――たぶん大師匠が目の前からいなくなって、少し気分が楽になったようだ。そのせいか、心のなかで冷酷な割り切りができなくなった。
変化の2つ目は、その母との再会。
母との再会は、最近の殺しの結果だった。
その「仕事」では、標的となった人物はオウムを飼っていた。そして、殺人の現場にオウムがいて、「目撃者」になってしまった。暗殺現場で生じた会話音声を記憶して、その音声を再生(鳴きまね)するのだ。
ヴィクターが殺害したことを警察が割り出すきっかけになるような現場での「言葉」をオウムが音声としてしっかり記憶して、しゃべるようになってしまったのだ。
「証拠」となるような遺留物を残さないために、オウムを殺すしかなくなった。しかし、ヴィクターは、標的以外の生き物の命を奪うことができなかった。一流の殺し屋としてのプライドなのか、それとも憐憫がわいたのか。
彼のもともとの性格なのか、大富豪のお坊ちゃんとして生まれ育ったせいか、冷酷な割り切りができなくなったのだ。
いずれにせよ、このときヴィクターの心のなかに殺しを拒む心性が芽生えたようだ。
仕方なくヴィクターは鳥籠ごとオウムを持ちかえって、鳥を母、ルイーザへの贈り物にすることにした。
まあ、殺しの後始末のツケを母親に回したとも言える。
というわけで、母親の邸宅を訪れた。
この母子はとんでもなく大金持ちだ。一流の殺し屋としての報酬がどれほどのものかを考えると、まあ納得するのだが。
一回数数千万円から億円の報酬の暗殺を引き受ける仕事を親子2代で70年も続け、蓄えた富を金融投資に回せば数億ポンドくらいの資産を形成するのは、不可能ではないだろう。
ヴィクターの顔を見ると、母親は日頃の心配ごとを息子に打ち明けた。女性と結婚して跡継ぎをつくらないのは、「おまえがゲイだからじゃないのかい?」と。
母親の言葉の影響力は大きい。ヴィクターの心に「そうなのだろうか?」という疑問が湧きあがってきた。
そして、ルイーザはオウムの贈り物のお返しというわけではなかろうが、ヴィクターに高級アルバムのような革装丁表紙の高級な本を手渡した。なかに綴じ込んであったのは、ヴィクターがこれまで関与したほとんどの殺しに関する新聞記事だった。
ルイーザとしては、息子の「偉業」を誇り記録しておきたいという気持ちがあったのかもしれないが、主要な動機は、これまでの「仕事」に関する資料を収集しておいて、ヴィクターの今後の仕事――つまり殺し――の「参考資料」にしてもらうためのようだった。
何という母親なのだろう!? 徹底した師匠魂、いや教育ママだ。
そのとき以来、ヴィクターはつねに自分を見つめ直す内省的な気分が芽生えたようだ。それが、ロウズ殺害の仕事で度重なるタイミングの狂いへの対処に影響をおよぼしたのかもしれない。何しろ、優秀な大学教授並みの教養を備えた人物が内省的になったのだから……。