ある日、伊賀の百地党の館に一帯の村民たちが集結した。彼らは百地三太夫に率いられる忍者集団だった。この集団は厳格な階級制をなしていた。
圧倒的多数は下忍で、彼ら普段は農民として稲作や畑作にいそしみ、首領から任務を与えられると、中忍の監督や指示を受けながら、忍びの技を特殊な軍務サーヴィスとして提供するために、各地の「雇い主」のもとに出かけていった。中忍は、首領の統制のもとで下忍を束ね、作戦現場での指揮や連絡活動を担う。首領は、各地の領主やその家臣から、金銭的報酬と引き換えに、偵察・諜報活動や攪乱作戦、特殊な戦闘などの仕事を請け負う。
こうして忍者とは、一種の傭兵のようなものだった。彼らは、村外での任務や農作業の合間に、戦闘の訓練とか忍びの技を鍛錬し、そのための技術開発などにあたっていた。だが、下忍各自の技はそれぞれ開発習熟した「個人」に属する特技(秘伝)とされていたという。
首領の館は村落の中心にある砦のなかにあり、見張り櫓が建ち、周囲は塀に囲まれていた。下忍たちは、村人として砦の周辺に散居していた。
さて、その日の百地館では、信長の勢力躍進にともなう情勢の変化と百地党忍群の対策を打ち合わせていた。百知三太夫は、織田信長のさらなる権力拡張と天下掌握の野望を阻止するために、どんな犠牲を払っても、信長を討ち果たさなければならぬ、と檄を飛ばした。
映画での百地三太夫(扮するのは、怪異な人物を演じさせればピカイチの伊藤雄之助)。その言葉によれば、
忍びという特殊な技能を組織的に熟練・保有する集団は、役の行者に始まる仏教修験者の修業に起源をもつという。ゆえに真言密教の教義や徳目を第一に尊重し、仏教に対する不当な攻撃や弾圧には断固抗すべし、という天命が与えられている。しかるに、尾張公の野望と暴虐にはいかなる手段を用いても立ち向かうことが使命となる。
その集会からの帰り道、石川五右衛門は立身出世の夢を父親に語った。だが、父親は忍びとしての緊張を強いられる生活からもう逃れたいと本音を漏らした。そして、最近誰かの監視を受け、狙われているような気配があると告げた。
そのとき、百地三太夫の妻が通用門に出てきて、三太夫が呼んでいると差し招いた。首領からの特別の呼び出しに喜んだ五右衛門は、勇んで屋敷に入っていった。首領の用命とは、自分を補佐する書記役に就いて、妻の手助けをしてほしいというものだった。五右衛門はかしこまって拝命した。
やがて、三太夫は1人自室に籠もり、変装すると、秘密の通路を抜けて裏山の森に抜け出て、藤林一族の村に向かった。藤林の首領館に入り込む秘密の通路に入ると、三太夫は変装して藤林長門になった。
藤林党の館でも、首領の長門はそのの召集に応じて集まった忍びたちに檄を飛ばしていた。「信長を倒せ。もしも百地党の忍者に先を越されたら、藤林党の名誉は失墜するのだ」と。
つまり、同一の首領が、変装によって2人の首領の役を演じながら、百地と藤林という2つの忍群を競わせて、分断支配していたのだ。そして、信長による「天下統一」の阻止は、多数の武将が分立割拠して相争う状況の継続こそが、彼らに「傭兵」としての伊賀忍者を高く売りつける環境を持続させるという意味もあったに違いない。