補章―3 ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初期
この章の目次
ところで、早くも5世紀半ばには、ザクセンないしユートラント地方からイングランド南東部にアングル・ザクセン諸族(アングロサクスン人)が遠征・植民して勢力を広げ、いくつかの小侯国(部族を基礎とする統治圏域)をつくった。アングル・ザクセン諸族に続いて、ユートラントやスカンディナヴィアからデーン諸族(ノルマン人)がイングランドやノルマンディ、ネーデルラント、フリースラント地方への遠征や移住を進めた。彼らもこれらの諸地方に有力な諸侯国や君侯権力をつくりだした。9世紀には、ブリテン島と北フランスに王権(部族連合を基盤とする君侯権力)が出現していた。デーン人たちはノルマンディ地方にも諸侯国を形成し、その盟主となった族長は西フランク王国の有力君侯として振る舞うようになった。
デーン人たちは数次にわたってイングランドにも侵攻と植民をくり返し、アングロサクスン勢力との敵対と棲み分け、そして融合が進んだ。そして、11世紀はじめにはデーンの族長カヌートがイングランドの王権を手に入れ、デーン王朝が出現した。ところが、この世紀の後半には、北フランスにおけるデーン系の有力君侯であるノルマンディ公ギョーム(ウィリアム)がイングランドの征服を開始し、王権を樹立した。ノルマンディ公家がイングランドの王権を掌握し、ドーヴァー海峡の両岸地域を統治するようになった。
こうして、政治的・軍事的環境として、ブルターニュからフランデルンにいたる諸地方(北フランス)、ライン下流域のネーデルラント、その対岸のイングランド、そしてザクセン地方からユートラント、スカンディナヴィア南西部というように、北海を取り囲んでひとまとまりの地政学的空間が形成された。これらの地方の諸勢力は、交易や征服あるいは植民活動、通婚や政略などの動きのなかで、つねにこの北海沿岸地域を視野において――別言すれば、強い利害関心や対抗意識をもって――行動したようだ。
そのなかで通商・経済活動では、いち早く都市集落と商工業が発達し始めたフランデルン(ネーデルラント南西部)が中軸として位置づけられていた(13世紀から16世紀まで)。こうして、低地地方を中心として北フランス、フリースラント、ラインラント、ザクセン、ユートラント、スカンディナヴィア南西部、イングランド、つまりは北海を取り巻く諸地域を結びつける政治的・軍事的・文化的な環境が形成された。やがて、この一帯にはハンザの貿易ネットワークが覆いかぶさり、経済的な結びつきも強められていくことになった。
この北海周域一帯の独特の構造が、「西フランク王国」と大陸の秩序の変動に大きな影響を与えることになった。
ノルマンディからフランデルンを経て北ドイツにいたる沿岸について、主だった諸都市の配置を見てみよう。この地帯には、ヨーロッパ大陸の西から順に見ると、ルーアン、クレシー、カレー、ブリュージュ、アムステルダム、ブレーメン、ハンブルクなどの諸都市が配置され、そして海峡の対岸イングランド南部にはロンドン、ブリストル、プリマスなどの諸都市があった。これらの都市は、早くからライン流域の内陸諸都市、ケルンやマインツ、ヴォルムスなども結びついていた。
やがて、ハンザ商人たちが北フランス、フランデルン、対岸のイングランドと北ドイツ、バルト海地方をひとまとまりのネットワークに結びつけて活動し、遠距離貿易が発達した。フランデルンを中軸とする遠距離交易網は、沿岸航路をつうじて、ブルターニュからガスコーニュにおよぶフランス西部とイベリア北部にまでおよんでいた。
この独特のまとまりが、この地帯の諸地方に軍事的・政治的・経済的な連関と緊張をつくりだし、ある1地方での国家形成がほかの諸地方での対抗的な国家形成を刺激し、促進したということになる。しかも、この空間にはライン下流域が含まれ、早くから都市と商工業が発達し、政治的・軍事的秩序の形成に強い刺激をおよぼしていた。これが特異空間の意味である。
商工業都市や領域国家の形成がいち早く始まったネーデルラントや北フランス、イングランドには、早くから、スカンディナヴィア南部やユートラント半島、ザクセン地方のいくつかのノルマン諸族が植民や遠征をおこなって、王国や公国、属領などの勢力圏をつくりあげていた。そして、ライン河や、セーヌ河、エルベ川などの舟運と北海、バルト海の海運によって結ばれた交易関係が発達し、軍事的遠征が繰り返されるとともに、君侯・有力領主家門どうしの通婚などによる縁戚関係も取り結ばれていた。
結局のところ、17世紀までに強大な領域国家が出現して国家形成に成功したところはイングランド、ネーデルラント、フランス北部、つまり北海周辺の北西ヨーロッパということになる。これはいくつかの要因が偶然に重なった結果ではあるが、その背景として、この地域=北西ヨーロッパが中世初期から独特の社会的連鎖をともなう独特の地政学的空間をなしていたということに注目したい。
ネーデルラントやイングランド、フランスでの諸君侯の権力関係や領域国家の形成をめぐっては、このような歴史的文脈を背景にすえておかなければならない。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望