補章―3 ヨーロッパの地政学的構造
   ――中世から近代初期

この章の目次

1 ヨーロッパ文明の地理的空間

ⅰ イスラムの席巻とレコンキスタ

ⅱ 地中海の攻防

ⅲ ヨーロッパなるものの形成

2 北西ヨーロッパ――国家形成の特異空間

ⅰ 貿易網の連結

ⅱ 北海沿岸の植民と侯国形成

ⅲ 北西ヨーロッパの特異な連関

3 フランク王国

ⅰ 大王国=帝国の成立

ⅱ 帝国なるものの実態

ⅲ 王国の分解と教会組織

4 西ヨーロッパの地政学

ⅰ 西フランク(ガリア)

ⅱ ゲルマニア

ⅲ ヒスパニア

5 フランス王国の政治的分裂

ⅰ 王権の衰弱と諸侯の対抗

ⅱ フランデルンをめぐる角逐

ⅲ イングランドの幸運

ⅳ フランス諸地方の分立性

ⅶ ハプスブルク王朝との対抗

6 イタリアと地中海

ⅰ ローマ帝国の遺制

ⅱ ヨーロッパの地中海貿易

ⅲ 有力諸王権の対抗

7 宗教改革と権力闘争

8 ヨーロッパ世界経済の出現

ⅰ 格差と敵対の増幅

ⅱ 帝国という幻想

ⅲ 世界経済の地政学

ⅶ ハプスブルク王朝との対抗

  ところが、フランス王国の東部戦線では状況の転換が起きようとしていた。ヨーロッパで最強の君侯、ブルゴーニュ公家の断絶である。これによって、公家と血縁関係にあるフランス王権は、当初ブルゴーニュ公領を相続できるかに見えたが、イングランドをはじめラインラント、バイエルン、オーストリアまでの有力君侯や領主たちの反対にぶつかり、結局、フランデルンの一部を獲得しただけに終わった。西フランクの大部分を統治することになったフランス王が、もしも、さらにブルゴーニュを支配することになれば、ヨーロッパの政治的・軍事的状況がすっかり組み換えられそうな気配に見えたからだった。
  とはいえ、仮にフランス王権がブルゴーニュ公領をも手に入れていたとしても、単一の領域国家への道を歩むことができなかっただろう。早晩、分裂の危機に見舞われたはずだ。
  結局、ブルゴーニュ公領の大部分は、ハプスブルク家のオーストリア公マクシミリアンが相続することになった。神聖ローマ帝国の名門公位(権威)もまたハプスブルク家に帰すことになった。こうして、15世紀末にハプスブルク家の手に広大なブルゴーニュ公領の大部分が帰すことになり、それが今度はヴァロワ王権との敵対関係をもたらした。このことから、大陸では新たな紛争の種がまかれたことになった。そして、オーストリア公ハプスブルク家はカスティーリャ王家と通婚していたことが、次の世紀におけるヨーロッパの大規模な騒乱を用意した。

  ともあれ、フランデルン=ネーデルラントではハプスブルク王朝の支配圏域が一挙に拡大し、力の平衡が再組織された。だが今度は、フランデルンよりもはるかに都市商工業が発達し、富の蓄積が進んでいた北イタリアが争奪戦の最も主要な対象となった。多数の小さな都市国家に分断されていて、政治的・軍事的に不安定な状況にあったので、外部の権力が介入しやすかったのだ。ここにも、フランス王権とハプスブルク家との対抗が持ち込まれれることになった。
  16世紀になると、オーストリア公マクシミリアンの孫として遺領を継いだカールがカスティーリャ王位をも相続することになった。そのカスティーリャ王はエスパーニャ王として、カタルーニャを併合したアラゴン王国をも統治することになり、名目上、エスパーニャ全体とイタリア南部、地中海の島々を支配していた。ゆえに、いまやハプスブルク王朝は、西はエスパーニャ王国、南は地中海の島々と南部イタリア、東はブルゴーニュ公領、北ではネーデルラントを支配することになった。その支配地は、膨張と集権化を進めるヴァロワ王権を取り囲むことになった。イタリアからブルゴーニュを経てフランデルンにいたる地帯と地中海沿岸、そしてピレネーからガスコーニュまで、両王権の兵が対峙する全戦線にわたって、小競り合いや紛争が絶えなかった。だが、すでに述べたように、両王権の闘争で当面の焦点は北イタリアだった。

6 イタリアと地中海

  北イタリアは来たるべきヨーロッパの歴史を先取りしていた。北イタリア諸都市は、11世紀から15世紀まで、地中海貿易圏とイタリア本土で覇権や勢力圏、領土をめぐる争奪戦を演じていた。そのために開発し駆使した軍事組織と技術、政治思想や手法、行政技術などが、今度は全ヨーロッパ的規模で展開される有力君侯たちの勢力争いと国家形成、あるいは通商競争のなかで採用され、規模がはるかに拡大され、洗練されていくことになった。
  遅くとも13世紀頃には、北イタリアには都市国家が支配的なレジームになっていた。有力諸都市では遠距離貿易を営む富裕商人層の権力が組織され、市壁で囲まれた市街地を中心として、その周囲の小都市や農村などをひとまとまりの領域に囲い込んで統治する仕組みを形成するようになった。単一の中心から組織された軍事組織や行財政装置を通じて、強固に統合された地理的空間を支配するという原理が生みだされたわけだ。それは、都市国家という形態における、きわめて小規模な領域支配の出現であった。
  一続きに統合された領土、中央集権的な統治機構、勢力圏の境界線を要塞や障壁、警備隊や駐屯軍で防衛すること、火砲によって城塞を防御し、あるいは攻撃すること、軍隊を傭兵で組織すること、それゆえ膨大な資金を都市国家の中央政府に集める仕組みを創出すること。これらのことはいずれも将来の国家形成で決定的に重要になる要因で、これらすべてが都市国家の形成と闘争の経験のうちに含まれていた。
  有力な諸都市は都市国家を形成して、経済的、軍事的に競い合っていた。これらの都市は、地中海貿易圏において、都市国家の境界のはるかかなたにまで通商ネットワークを組織していた。この通商ネットワークはまた同時に権力装置として機能していた。
  交易路の建設は、南北イタリアとシチリア、アドリア海、地中海東部では、すでに11世紀には始まっていた。12世紀には、ヴェネツィアとジェーノヴァとのあいだで、エーゲ海やレヴァント、ビュザンティンをめぐる通商戦が展開されていた。商人たちは、アジアや北アフリカの貴金属やアジアの陶器、香辛料などという奢侈品とともに、商工業都市の生産活動や生活に不可欠な穀物や船舶用木材などを黒海沿岸地方やアナトリアから調達していた。
  地中海東部への北イタリア商人の影響力の浸透と手を携えていたのが十字軍運動だった。西フランクや東フランクの騎士団がシリア方面に遠征して公領や伯領を建設した。だが、イタリア商人たちの海運ならびに通商活動がなければ、兵員の移動はもとより十字軍諸侯領の維持のための補給線が確保できなかった。逆に十字軍諸侯領はまた、イタリア商人に強固な通商拠点を提供した。

 前のペイジに戻る | ペイジトップ | 次のペイジに進む

世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体詳細目次 サイトマップ◆

⇒章と節の概要説明を見る

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望