第3章 ブリテン東インド会社

この章の目次

商業資本の世界市場運動としてのBEIC

1 特許会社とヨーロッパ諸国民の通商戦争

ⅰ 冒険航海事業の創設と初期の航海事業

ⅱ 恒常的経営組織への転換

ⅲ アジア貿易をめぐる西欧諸国民の闘争

2 インド亜大陸の統治構造と社会

3 BEICの通商拠点建設と商業権益の獲得

ⅰ マドラース、ボンベイ、カルカッタの獲得

ⅱ アジア域内貿易とイングランド商人

ⅲ 綿織物貿易とカーナティク

4 本国政府・議会と商業資本の分派間闘争

ⅰ 会社の急成長と政府・議会との関係

ⅱ もう1つの東インド会社の出現

ⅲ 会社の経営状態と入超問題

ⅲ 綿織物貿易とカーナティク

  17世紀末の時点ではヨーロッパ諸国民――各国の東インド会社――は、インドで植民地支配を強行できるほどには現地諸勢力に対して(軍事的・政治的)優位を確保していたわけではなかった。 BEIC は1688―89年の対ムガール戦争で敗れた。会社は現地の既存の統治秩序や首長たちの権力などを受け入れながら、貿易関係を組織していた。とはいえ、この時期に、ブリテンの対インド貿易は大きく成長した。 BEIC のインドへの毛織物輸出額は、1663―69年の1万9000ポンドから1699-1701年の8万9000ポンドに増大した〔cf. 浅田 實〕。一方、インドからヨーロッパに向けた輸出用品の積み出し地としての地位を飛躍的に高めたのは、コロマンデル海岸だった。
  豊かなコロマンデル地方は、古くからマラッカや香料諸島、アラビア、アフリカ東岸地方と活発な交易関係を取り結んでいた。この地方のいくつかの木綿生産地は、地方ごとに生活風習や嗜好が異なる東南アジアの島々の人々の需要に合わせて多様な高品質の綿織布を輸出していた。とりわけにマスリパタムでは、高品質のキャラコヤチンツなどを買い付けることができた〔cf. 浅田 實〕
   VOC は1605年にこの地方に貿易拠点を築いて、東南アジアで胡椒や香辛料と交換するためのインド綿織物――香料諸島の需要に合った綿製品は貴金属よりもはるかに有利な比率で交換できた――の調達に躍起になっていた。インド人商人やアジア人商人との競争も苛烈だった。 VOC はその後、インドネシア、マレイ諸島はもとより、熱帯アフリカやカリブ海・西インド諸島、ヨーロッパ方面にもインド綿織布の輸出販売ネットワークを広げた。そして、より以前からインドに通商拠点を確保していたポルトゥガルに執拗な攻撃を続けていた。17世紀半ばからは、ネーデルラントが優位を確保するようになった。1658年には、 VOC はネガパタムとセイロン島ジャナクパタムを占領、62年には現地ゴルコンダの王を支援してサントーメを征服させた。
  イングランド人がコロマンデル海岸に橋頭堡を築き始めたのは、この地方でのヨーロッパ人たちの角逐が熾烈化した17世紀半ばだった。 VOC の圧迫を受けたポルトゥガル人たちは、ブランガサ王家と同盟したイングランドの庇護を受けて、マドラースに集住するようになっていた。 BEIC はカーナティク地方で木綿繊維を買い付けてロンドンに輸出していた。その成長は飛躍的で、1664年には27万3600反(10万ポンド)だったものが84年には176万反(69万ポンド)に達するようになった。 BEICVOC の優位を揺るがすほどの脅威になりつつあった。
  フランスでは、1604年の設立後まもなく解散された東インド会社 la Compagni des Indes Orientales (CIO) が1664年にコルベールの肝いりで再建され、67年にはインドのスーラトに商館を建設した。フランス王権は1664年に「インドへの進出作戦」の基本構想をつくりあげて、インド洋方面への権力拡張を企図するようになっていた。もっとも、この時点ではイングランドにとって手ごわい相手になる気配を見せていなかった。
  フランス王権は1669年に東インド貿易の CIOによる独占を解除して、貿易への参入をフランス人一般商人に開放した――僻遠の地で商人の統制ができないという実情に即した政策だった――けれども、依然として CIO はインドにおけるフランス商人たちの政治的・軍事的結集の核となっていた。1670年には CIO の要請を受けて王権はインド洋に20隻の艦隊を派遣した。72年にはフランス勢力は、ルイ14世のネーデルラント侵攻と呼応して、インドでも VOC への攻撃を開始してサントーメを攻略した。しかしその後、 VOC の艦隊と地上軍の包囲によって貿易封鎖(兵糧攻め)を受けたため、退却を余儀なくされ、結局74年には VOC がサントーメを奪取した。この間に CIO は、ポンディシェリを獲得して貿易拠点の建設を開始したものの、74年には VOC によってポンディシェリからフランス勢力は一時的に駆逐されてしまった。とはいえ、講和のあとフランスはポンディシェリを回復し、貿易拠点と軍事要塞を建設した。
  インドでのネーデルラントとフランスとの戦争に対して BEICは中立を維持した。イングランド人商人と会社は、両勢力の戦争を横目に自分たちの貿易拠点や活動基盤を形成することに注力して、綿織物の取引機会を開拓していた。もちろん、 BEICの艦隊と VOC の艦隊は以前からコロマンデル沿岸で有利な地歩の確保を争っていたから、小競り合いや小規模な戦闘はしばしば発生した〔cf. 浅田 實〕

ペイジトップ | 前のペイジに戻る || 次のペイジに進む |

世界経済における資本と国家、そして都市

第2篇
 商業資本の世界市場運動と国民国家

◆全体目次 章と節◆

第1章
 17世紀末から19世紀までの世界経済

第2章
 世界経済とイングランド国民国家

第3章
 ブリテン東インド会社