意識や感情、知性や論理の操作能力を備えたレプリカントは、やがて自己=自我に目覚めることになった。
それは、他者と自己との区分=相違を意識・判断するということだ。アイデンティティの意識化であり、自立への目覚めともいえる。
そして、生き物であるかぎり、自己保存の本能と生存への欲求が生まれる。己の欲望や欲求、目的を意識し、それらに沿って行動しようとする。
そのとき、自分が他者=人間の欲望・欲求に隷従し、単なる道具として使役され、わずか4年で死滅する運命にあると知ったとすれば……。
というわけで、遥かかなたの惑星で、ネクサス6型レプリカントの集団が反乱を引き起こし、自由と生き残りを賭けて宇宙に脱出した。その首謀者のグループは、地球に侵入したと見られる。
彼らはこの反乱と闘争、地球侵入の過程で何人かの人間を殺したという。外観上、人類と区別がつかない彼らは、人類のなかに紛れ込んで生存している。
この反乱レプリカント、ネクサス6を探し出して除去=排除=抹殺するのが、警察の特殊機動捜査の要員ブレイドランナーの任務だ。
高度な知性と感情をもつ被造物が造物主である人間との対立を意識し、人間による支配から独立しようとすることになった。
この被造物の「人格性の独立の問題」は、いまから40年ほど前に、手塚治虫やアイザック・アシモフ、そしてフィリップ・K・ディックらによって、SF物語のなかで提起された。
手塚は『鉄腕アトム』のシリーズで、なかんづく「青騎士」で、ヒト型ロボットの人格的独立と尊厳の問題として提示した。機械装置や道具として開発・生産されたロボットが、やがてパースナリティを認められ、人類と共存する未来社会の問題として。
手塚治虫は回顧録のなかで、1968年以降の「若者の反乱」を見て煽られた(時流ブームに流された)形でその問題を取り上げたのだ述べている。
映画《ブレイドランナー》では、有機的アンドロイド=レプリカントと人間の対立、レプリカントの人格的独立への願望と闘争として、描き出された。レプリカントと人類との共存と闘いの物語だ。
他方でここでは、レプリカントを狩り立てるブレイドランナーの1人、デッカード(ハリスン・フォード)が、レプリカント抹殺について疑念や躊躇を感じて悩み、ついには人生の伴侶としてレプリカントの女性を選び取る苦悩と決断の過程、つまり心情的葛藤の物語としても描かれている。
状況のなかで迷い当惑する役は、やはりハリソン・フォードがいい。
ところで、この物語は、ギリシャ神話で描かれる「神と人間の関係」と似ている。
神話の系統によって、物語のディテイルは異なるが…
神々は自分たちに似せて人間=人類を創出した。人類は神の定めた運命のなすがままに隷従していた。人類には自意識や知識・知恵というものは備わっていなかった。
というのは、全能の神ゼウス(デウス)は、人類が知恵や知識を獲得すると、やがて互いに利害を戦わせて戦乱や殺戮、犯罪などに奔り出すであろうと考えたからだ。火=文明は両義性を持つものと見られていたのだ。
ところが、原始的な神の一族のプロメテウス(Προμηθεύς :知と思考の先達者)は、神々が独占していた火を人間に与え、神が与えた過酷な運命から自立し、自己の運命を自ら切り開く可能性を与えようとした。
ゼウスは怒り、プロメテウスを断崖に縛りつけて、その内臓を猛禽に食らわせる罰を加えた。
身動きできないプロメテウスは、昼間にはワシの群れに襲われ内臓を食い破られ、夜間には内臓が回復し、こうして永遠に苦しみ続けることになった。
ここで、「火」とは象徴的なもので、知恵や知識、思考力や欲望などを包含するものだと考えられる。
プロ・メテウスとは、ギリシア語で「知性や思考の先達者」という意味にも取れるが、むしろ「軽率者、知識や思考もなしに行動する者」「知性や思考を後回しにする者」という意味が強いかもしれない。