ブレードランナー 目次
原題と原作
見どころとテーマ
あらすじ
ヒューマノイド「レプリカント」
造物主と被造物
プロメテウスの火
従属し虐げられた者の反乱
近未来都市、ロスアンジェルス
任務への復帰
レプリカントの美女
レプリカントと人間との恋愛
レプリカントの切望
驚きの状況設定
造物主との対面
レプリカントの悲哀
最後の対決
レイチェルとの逃避行
人は生命を理解できるか

人は生命を理解できるか

  私たち人類は今、IPS細胞を利用して人体器官を再生(というよりも新たに創出)する実験に取り組む段階まで来ている。
  一方で、人間やそのほかの動物の中枢神経の研究とか脳科学も進んでいる。
  また人間の心の痛みや喪失感をケアするためにコミュニケイション機能を持つロボット(人間型・動物型さまざま)をも開発している。
  人類はどこまで進んでいくのだろうか。

  やがて「心を持つ生き物」や「心を持つロボット」を創出する時代が来るのだろうか。
  その場合、「心」とは何だろうか。心とは脳を持つ生き物に特有の現象・機能なのだろうか。
  感覚と感情・情緒とはどう違うのだろうか。推論とか論理的思考と心とはどういう関係にあるのか。
  それとも、心は多数のプログラムの複合へと分解。還元できるのだろうか。

  そもそも、人類は生命とか心がどういうものなのかを理解できるのだろうか。いや、どこまで解明できるのだろうか。


  生命の進化史として「心の起源」、生物進化のどの段階で「心」が発生したのだろうか。いや、この疑問の前に、というよりも並行して「心とは何か」という問題が問われ続けるのだろう。

  こんな疑問を抱くのは、人類が人工的に生命をつくろうとしている動きのどこかで「心」を持つもの、「心」そのものにどう向き合うかという深刻な問いにぶつかるかもしれないと考えるからだ。

  それはまた、人間(人類)が――生化学的に、脳科学的に、倫理的に――自分(人類)自身にどう向き合うか、人間としてのアイデンティティをどう捉えるかという問題でもあるような気がする。

  《ブレイドランナー》を観るとき、レプリカントは人間(人類)の「写し鏡」、つまり、それを通して自らを見つめる対象なのだという感じる。
  レプリカントを単なる道具、営利や快楽の手段とだけ見る立場(価値観)は、おそらくほかの人間をも自らの利益や快楽の道具・手段として見なす立場とさして変わらないのではないだろうか。
  この物語のように、人類は「生物しての人間とは何か」「心とな何か」を理解しないままに人造人間をつくってしまい、彼らの反乱ないしは復讐を受けることになるのだろうか。

「人間の尊厳」「生き物への尊厳」をめぐる洞察力とか想像力が乏しいのではないかと思うのだ。
  とはいえ自己省察してみると、私たちが食料としての家畜などに対する態度は、どんどん殺伐で無機的なものに貶化しているようにも感じる。

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