フリードリヒ・エンゲルスによれば、神は人間の意識・観念・思考の産物であって、神話では神が己に似せて人間を創造したというが、実際の歴史では、人間が己の姿に似せて神を想像=創出したのだという(『フォイエアバッハについて』)。
そして、神話という思考の産物のなかで、支配者と被支配者とへの人類の階級分裂・闘争と被支配者の解放・自立への願望を描き出したのだ、と。
という文脈で、〈プロメテウスの火〉は支配され虐げられた者の自立=解放への運動の象徴なのだ。
カール・マルクスも自己の著書《資本》の口絵に「プロメテウスの罰」の図案を使用している。文化的には支配階級に属するマルクスたちの立場を端的に表現する絵として。
すなわち、プロメテウスがゼウスに逆らって人類に火を与えたように、資本家階級に従属し抑圧された下層民衆に抵抗・解放闘争ための知的・理論的武器を提供しようとする立場を。
だが私は、プロメテウスそのものに一番関心がある。そして、はるか古代に、支配する立場の集団と隷属状態の集団とに人類が分裂し対立し合っている状況を観察し、神話物語に描き込んだ人びとの知恵に。
さてこの映画作品では、虐げられ隷従を強いられた者とはレプリカントで、神とは彼らを道具=物と扱う人類となるだろう。そしてデッカードは、レプリカントの立場を理解しようとする立場、つまりプロメテウスの役どころだ。
そのときデッカードは、殺伐としたレプリカント狩りに疲れて、半ば引退したような状態にあった。そして、ロスアンジェルスにくすぶっていた。
この(天使の街という名を持つ)巨大都市は、繁栄と頽廃が交差する不思議な雰囲気を漂わせている。
市街には超高層ビルがひしめき合い、地上道路と宙空にはホバーカーが行き来している。ビルの高層には輝かしいビズネスオフィスが並んでいるようだが、地上に近い階層は猥雑で、下層民の生活空間にように見える。
ビルディングの構造が、社会の階級格差をそのまま表しているようだ。
多くのビルの広告や巨大映像ディスプレイには、紋切り型の「日本」的な映像が映し出されている。ビルの下層階には、雑多な日本食や中華料理の零細な店が数多く並んでいる。
日本的ないしは東アジア的情景は、欧米的な合理的精神が通じない不条理とか混沌状態を象徴するために使われているのだろうか。それとも、近未来に世界を席巻する文化として扱われているのだろうか。