MI6 沈黙の目撃者 目次
「国益」と謀略のはざまで
見どころ
麻薬密輸ルート
偽装潜入の目的
麻薬貿易と英国エリート
MI6の作戦の綻び
絡み合う策謀
核爆発
心理学からの国家論
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心理学からの国家論

  さて、物語のなかで私は、MI6のキャリア・エリート、チャールズ・ヴァン・クーアーズの心性にいたく関心を抱いた。
  国家装置の中枢にいるエリートがどのような国家観を抱き、自意識や権力欲望・出世願望をその国家観のなかに投影していくのかという問題に興味をひかれたのだ。

  国家理論研究のなかには国家イデオロギー論という分野があって、国家思想ないし支配者や民衆それぞれの側の「国家をめぐる集団心性」のありようやその論理構造を分析する作業がある。それらは、集団的な心理状態を思考スタイルや行動スタイルとを関連させて研究する。
  だが、個人の意識状態や思考・行動スタイルまで考究することはない。個々人の意識や思考・行動については、そういう集団的・社会的な意識状況に拘束・制約されたものと位置づけるからで、それで社会科学ないし社会心理学の研究は終わるのだ。
  個人の主観に踏み込んだ忖度そんたくは、むしろ小説などの文学とか演劇などの芸術が担うべき課題とみているようだ。この映画作品は、制作陣の意図はともかく、客観的にはそういう課題に取り組んだものといえるだろう。

  さて、すでに見たように、物語の状況背帝としては、ブリテンの秘密情報局・対外諜報課のチャールズはマフィアからの核兵器の奪還という軍事=安全保障上の目的のために、1人の外交官をマフィアと癒着した腐敗官僚に偽装し、ヘロインのブリテン国内への密輸ルートまで開拓させたことになっていた。
  つまりは、国内での犯罪組織の跳梁や夥しい数の麻薬依存者=被害者の出現などには、まったくお構いなしに、この安全保障上の目的の遂行を強行したのだ。彼の意識=心理では、目的が崇高ならば、いかなる手段に訴えてもかまわないという価値観に染め上げられていた。

  したがって、ロンドン警視庁・警察官たちの苦悩や犠牲、努力よりも、自分の任務課題の方がずっと格上であって、それより下の序列にあるどんな活動や国家の機能――さらには一般民衆の生活の安全・健康など――をも見下していたわけだ。犠牲にしても、損害を与えても構わないと。
  「上から目線」もここに極まれり、というような意識・心理で臆面もなく、「自分の仕事」に没頭したのだ。もちろん、そこには自己の欲望、エリートしての出世欲や権力欲がないまぜになりながら、「私は国家のために崇高な目的を追求し、日夜身をささげているのだ」という自意識、いや過剰な自意識がはたらいていたはずだ。
  国家装置の職員、とりわけ上級官僚によく見られる「自己意識の肥大化」「肥大化した自我」と呼ばれる現象、心理だ。政治・行政のエリートには、よくありがちな傾向だという。キャリア官僚の資格試験・選抜試験や育成課程では、意図的にそういうエリート意識を注入して、高度な任務遂行能力を養成し発揮させるようになっている。
  「責任感」と「権力欲求」「競争意識――足の引っ張り合い心理とも言う――」をないまぜにしたエリート育成システムなのだ。


  私たちは、ここまで極端ではないが、この鼻もちならない「国家エリートの過剰な自意識」を日頃よく目にする。
  たとえば、大衆に負担を強いる「消費税増徴」や企業減税を得意げに主張するどこかの政治家たちの表情に。あるいは、実に曖昧な「国家像」や「国益イメイジ」を庶民に押しつけがましく主張する「過剰な自意識」を目にする。
  国会議員などの政治家や高級官僚の記者会見での声明や自己主張には、多かれ少なかれ、この「上から目線」の「過剰な自意識」を感じることが多い。

  そこには、国家像と自己の欲望とが未分化に入り混じった心理が居座っているように見える。
  「天下国家」の次元まで肥大化させた自己意識、と呼ぶことができる。自己欲と国家の機能とを区分できない状態だ。

  そういう手合いの話をじっくり分析すると、往々にして「国家」という大きな話題を語っているその中身は、じつに狭くて貧弱で一面的であることが見えてくる。というのも、「天下国家」の問題は、きわめて膨大で複雑で、その断片たりといえども把握するには、大きな努力と思考力を必要とする。
  きわめて分かりにくい問題だ。それをあたかも「分かりやすい」ように言い切る心理は、傲岸不遜なのか、それとも事態を複合的に思考する能力がないのか、あるいは衆愚的なのか。
  もちろん、他人や庶民にその課題を語る場合には、説明に非常に手間がかかり、忍耐を要するだろう。だから、それを一言で片づけて、問題をすり替えてしまうようなやり方は、じつに胡散臭くなるのも当然だ。

  そんなことを考えてみると、この作品は、エリート官僚の肥大化した自我=国家像がその地位と権力を盾にして暴走すると、こんなふうになってしまうよ、という教訓をきわめて悲惨な国際謀略事件に仮託して描いて見せたのかもしれないとも思いたくなる。

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