9世紀ごろからスカンディナヴィアやユートランドのノルマン(フランク)諸族はフランス北部に大規模な移住を企て、いくつもの公国を形成していた。移住をこととする彼らのなかには、傭兵騎士団としてヨーロッパッ各地の王侯から雇われて戦役に従事した。
ところが11世紀に、ビザンツ帝国(コンスタンティノポリス)の富と栄光に魅了されたフランク族たちは、地中海東部に進出して各地を荒らし回り、ついにイタリア南部からシチリア島におよぶ公国(ノルマン公領)を建設した。やがて、ノルマン族の公領は、イタリアにも勢力を拡大した神聖ローマ皇帝(ドイツ王シュタウフェン家)の統治下に入った。
やがて13世紀半ば、シュタウフェン王朝が落ち目になるや、フランク王国の有力君侯、ノルマンディ=アンジュー家門がナーポリからシチリアにおよぶ公領を奪い取った。
ところが13世紀末近く、アンジュー家の統治が混乱する隙をついて、イベリア東部のアラゴン=カタルーニャ王権がナーポリ・シチリア王国に進出する。バルセローナの貿易商人の支援を受けたアラゴン王家は地中海西部に勢力圏を築くや、イタリア南部のアンジュー家を蹴散らしナーポリやシチリアを奪い取ったたうえに、サルデーニャまで領有してしまった。
13〜14世紀、フランスには有力な王国が少なくとも3つはあった。フランス王を名乗るパリの王権カペー家、西部に広大な領地を持つノルマン=アンジュー王権、北東部を支配するブルゴーニュ王権だ。このうちパリの王権が最も弱体だったが、王家は政略結婚でノルマンディ=アンジュー家門やブルゴーニュ家門などと結びついていた。
バルセローナ伯でもあるカタルーニャ王家もまた西フランクの有力な王権で、パリの王権と同盟していた。
ところが、イベリアでのレコンキスタの進展とともに、アラゴン=カタルーニャ王権は、エスパーニャでの独自の王国建設を進め、やがてカスティーリャ=レオン王権との和平や同盟をめざすようになった。すると、フランス王国とエスパーニャの君主連合とは対抗するようになった。
14世紀には、エスパーニャ君主連合とフランス王権とは、地中海と北イタリアの富と栄光を手に入れるために敵対するようになっていく。そして、それ以後、シチリアは、覇権争いをするエスパーニャ君侯とフランス君侯のあいだで、帰属が転々とすることになる。
経済的には、シチリアは北イタリア諸都市の商業資本に全面的に従属する経済構造に組み込まれていく。北イタリアや北西ヨーロッパの先進諸地域に綿花やワイン、小麦、砂糖を供給するようになる。
15世紀末からは、シチリアを含めた全イタリアが、フランス王権とエスパーニャ王権とのあいだでの覇権争いの主戦場となっていく。⇒関連記事
さて、シチリア=ナーポリ王国は、15世紀末から18世紀末まではエスパーニャ王権の支配下にあった。だが、18世紀と19世紀の変わり目の時期にエスパーニャではハプスブルク王朝は断絶して、フランス王室の分家のブルボン家に王権が移った。エスパーニャ王権はフランス王権に従属することになった。つまり、シチリアもまた、フランス王権の強い影響力下に置かれるようになった。
フランス革命からナポレオン戦争の時期には、南イタリアとシチリアへのフランスの支配が強化された。その後も、イタリアでリソルジメント運動で国民的=国家的統合が進んでも、従属的な低開発地域としての南イタリアとシチリアはフランスの権力のもとで呻吟する。19世紀末、ようやくイタリア王権によるナーポリとシチリアへの統治権が認められた。
この間、シチリアの平和と秩序を守るまともなレジームはなかった。
18世紀までは、王室の統治権や課税権は地方地主貴族によって分割・蹂躙され、住民は所領ごとに分断され抑圧されていた。領主貴族の多くは不在地主となってフランスの都市・宮廷とか北イタリアにいて、シチリア所領の経営は在地の従者――武装した所領管理者集団――に任されていた。
武装した従者=私兵団は、都市ごと集落ごと、所領ごとに暴力的で専制的な支配をおこなっていた。
シチリアの犯罪組織としてのマフィアは、こうした武装私兵団を母体に成立したとも、あるいは、彼らに対抗する農民が抵抗を試みるために結成した武装秘密結社が変質して成立したともいわれている。
シチリアの農民や都市住民は、ただでさえ貧窮と抑圧が横行する島で大騒乱や不作・飢饉が発生するたびに、生き延びるために北イタリアやヨーロッパ大陸、やがてはアメリカ大陸に移住していった。フランスの大都市や港湾都市には、こうしたシチリアからの難民が移住した。パリにも、ニュウヨークに負けないほどのシチリア系住民の近隣社会(街区)ができた。
移住者たちは、故郷シチリアとの家系的・血縁的絆や地縁・人脈を持ち込んだ。そして、そうした面々のなかにマフィア・ファミリーもいて、新天地に犯罪や地下経済のネットワークを移植した。
何しろ、植民地・属領から宗主国への移民は昔から大がかりな社会現象なのだから。パリにシチリア系やコルシカ系のギャング団があるように、ロンドンにはアイアランド系やハイティ・カリビアン系のギャング団がある。