仕事机の横には、使い古したヤーコブの寝台があった。
「読んで返事を書いた後の封書は、ベッドの下に積んでおいてほしい」とヤーコブは頼んだ。
レイラがベッドの下を見ると、高さ30センチメートルくらいの空間に、これまでに届けられた何千通もの封書の束が積み重ねられていた。何十年ものあいだにこの牧師館に届いた手紙だった。レイラは驚いた。
たぶん、神に祈っても仕方がないのに、そんな無駄なことをここまで続ける牧師の気持ちが理解できないというような、そんな顔つきだった。
レイラは「何でこんな無意味なことを?」と訝しがり一瞬戸惑った……が、おもむろに読み始めた。
手紙の内容は、家族のことや迷子になった飼い犬を心配する母親や老婦人たちからの相談――心配ごとを打ち明ける内容――で、誰もが、息子や飼い犬のために「神に祈りを捧げてほしい」と嘆願していた。
結局、レイラはヤーコブ牧師の返答を口述筆記することになった。面倒くさい仕事だった。神の救済なんかあるわけがないと確信するレイラにとって、意味のない作業だからだ。
「今日もまもなく郵便配達人が手紙を届けにくるはずだ」とヤーコブがつぶやいた。
こんな面倒なことを毎日毎日続けているのか、とうんざりしかけたところに、郵便配達人の声がした。
「ほら、来た」とヤーコブが立ち上がろうとするよりも早く、レイラがドアから庭に出た。
頑丈な自転車を降りた配達人はレイラを胡散臭げに眺めながら、手紙の束を渡した。そして、問いただしてきた。
「お前はここに何しに来たんだ。ヤーコブ牧師は善人だ。傷つけないでくれ。早く刑務所に戻るがいい!」と。
彼はレイラを、静かで平穏なコミュニティに闖入した異物と見なして警戒している。まして、レイラが殺人犯として終身刑に処された女であってみれば、なおのこと危険視してくるのは無理もない。とはいえ、度が過ぎた警戒心ともいえる。
郵便配達人は、ヤーコブ牧師のところに来たレイラが終身刑の服役囚だったことを知っているようだ。それだけ、この村は狭く、また人間関係が濃密な農村のコミュニティらしい。あるいは、彼はヤ―コブ牧師と刑務所との手紙による通信を盗み見たのかもしれない。
彼はレイラに嫌悪感をむき出しにした一瞥を投げると、自転車にまたがって牧師館の前の草深い道を下っていった。
手紙と束を手にしたレイラは、まるで苦痛の種でもあるかのように、これまた嫌悪感を込めて見つめた。というのも、翌日、またこれらの手紙をヤーコブに読み聞かせ、返事を口述筆記しなければならないからだ。
レイラにしてみれば、読むこと、書くことが億劫というよりも、人生に何かを期待して神に祈る、善意の信仰心を保ち続けるという態度がそもそも気に入らなかったのだ。
彼女は、ある決意と覚悟の上に姉の夫を殺し、刑務所に入った。それは将来への期待の放棄であり、互いに善意の期待を交換し合う人びとからなる社会を拒絶し、撥ねつけるという覚悟、意思を込めた行動だった。
そのため、その翌日か、あるいはそんな日々が続いた数日後か、レイラは届けられた手紙の束のうちからいくつかを庭のごみ捨て穴(地下の水溜りまで開けた穴)に捨ててしまった。