ヤーコブ神父への手紙 目次
・・・人は生き続ける
あらすじ&見どころ
レ イ ラ
ヤーコブ牧師
ヤーコブ神父の仕事
郵便配達人
深夜の出来事
隔てられし者、日々に疎し
生きる力を与えるもの
レイラの過去
ヤーコブ神父の死
簡素な、簡素な物語
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阿弥陀堂だより
大誘拐
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

隔てられし者、日々にうと

  その事件があってから、ヤーコブ牧師あてに届く手紙は目に見えて減っていった。やがて、1通も届かなくなった。そんな日が何日も続いた。
  はじめのうち、レイラはそのことを大して気にしなかった。
  だが、ヤーコブ神父は目に見えて落胆し、憔悴していった。
  「私は年老い、病がちになり、しかもめしいてしまった。教会で信者のために祈祷を捧げることもできなくなってから久しい。
  そんな私にも、信者の手紙を読んでもらって返事の手紙を書くことだけが、神から与えられた仕事だったのに。
  ああ、私は世の中から置き去りにされ、人びとから忘れ去られ、必要とされなくなってしまった。神は、私の任務を奪ってしまったのだろうか」

  まあ、もはや世の中から隠遁したといってもいいヤーコブは、教会の正規の仕事からも「解放され」ているので、しだいに人びとから忘れ去られていくのは自然なことかもしれない。過去の実績に免じて――いわば破格の「北欧型老人福祉」政策として――牧師館への居住を許されているようなのだが。
  教会としては「老人福祉」の一環のつもりなのだろうし、もはやそう長くもないと見越しているのだろう。北欧では本人の意思や自立心を尊重する試みとして、こういう対応を行政機関や団体が講じることがあるらしい。


  もともと人口希薄なフィンランドのことで、過疎化した村には老人ばかりで住民も激減し、近くの教会は活動を停止してもはや信者たちが集まることもないようだ。
  日本のように集住型の村落ばかりではなく、森林や湿原のなかに数百メートル、さらには数キロメートルの距離を置いて人家が散在する分散型村落も多いのだ。

  さて、手紙が来なくなったことが気になってきたレイラは、これまで郵便が届けられていた時刻になると、牧師館のドアの前や庭に出てみた。すると、郵便配達人が乗る自転車は、牧師館の前の辻を曲がってしまう。配達人は、レイラにいつもの訝しげな一瞥を投げかけると、プイと横を見て道を逸れてしまう。
  ある日、レイラは、配達人が曲がる道の前に立って彼を押しとどめて問いただした。
  「どうして牧師館を避けるのよ。どうして手紙を届けてくれないの? ヤーコブへの手紙はないの?」
  配達人は、苦々しげな溜息とともに返答した。
  「ここを避けているわけじゃない。もうヤーコブへの手紙は来ないんだ。もう1通も手紙は来なくなってしまったんだ」

  そこで、レイラは配達人に「明日から、これまでのように同じ時間に手紙を届けにくる振りをしなさい。いいわね」と有無を言わさぬ勢いで頼み込んだ、というよりも「ねじ込んだ」。配達人は、驚きながらも請け合った。
  レイラは、手紙が世捨て人同然に暮らしているヤーコブ老人の「唯一の生きがい」「生き続けるための希望」だったことを知り、これまでのように手紙が来るようにしようとしたわけだ。

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