ヘルシンキのとある刑務所でのこと。
ある日、終身刑で服役している女囚、レイラが刑務所長に呼ばれた。刑務所長とはいっても、社会福祉がいきとどいたフィンランドでのこととて、威圧的な監視者というよりも、穏やかで面倒見の良いカウンセラーといった役割のようだ。
レイラは、「恩赦によって釈放されることになった」と告げられた。そして、「君には釈放後、身を寄せるあてとか仕事のあてはあるのかね?」と聞かれた。
「いいえ、あてはありません。私は終身刑なので、生涯を刑務所で終える覚悟をしてきましたから」と答えた。
「そうだろうね。
それで、お姉さんのところに身を寄せることもできないんだろうね。
だったら、君に来てほしいという要望が寄せられているんだが……ヤーコブという牧師からなんだが、身の回りの世話をしてほしいというんだ」
というわけで、気が進まなかったが、刑務所を出される以上、ほかに身を寄せるあてもないからということで、ヤーコブ牧師の宿舎に行くしかないということになった。
レイラは、「世の中との絆を拒絶した頑なな中年女性」を絵にかいたような姿表情をしていた。小太りで、頑健な体格。眉間にしわを寄せた偏屈者という感じだ。スラヴ系あるいはラップランド系の丸顔。
どこか片田舎の教会の近辺に、古びた牧師の宿舎(牧師館)があった。
レイラはスーツケイス1つを手に、その古びた宿舎を訪れた。
扉を開けて屋内に入るさいに、レイラは来訪者としての挨拶すらしなかった。いかにも、気が進まないという顔つきで、家の内部をうかがった。
レイラの来訪を待ちかねていたヤーコブ牧師は、目が不自由なので、入口のドアの隣の部屋の片隅で腰をおろしながら、息を凝らし耳を澄ませていた。一方、レイラは室内をいぶかしみ探るように一回りして、ヤーコブ牧師の背後から近づき、突然出くわすような形になった。
というわけで、何やら奇妙で気づまりな遭遇の場面となった。
それでも、ヤーコブはレイラをねぎらい歓迎するような温かい言葉をかけて、お茶にしようと勧めた。
ヤーコブは黒パン(あるいはライ麦パン)を薄く切って自分の皿と来客用の皿に取ると、茶碗を2つ用意して、自分の席の隣に置いた。レイラは、ヤーコブの好意に満ちた歓待を受けたのだが、それにもかかわらず、供されたパン皿と茶碗を牧師から一番遠い席に持っていった。長方形のテイブルの長い辺を挟んで向かい合う位置に自分の席を定めたのだ。
レイラとしては、ヤーコブ牧師と親しげに言葉を交わすつもりはないという意思を、このような素っ気ない行動で示したわけだ。
牧師は「私の身の回りの世話をお願いします。今まで、世話をしてくれていた近所の主婦がなくなってね」と切り出した。
だが、レイラは「でも私は家事や掃除をするつもりはないですよ」と突き放した返答を返した。
「もちろんだよ。お願いしたいのは、私あてに届く手紙を声を出して読んで、私が声に出す返事を手紙に書いてほしいのだよ」と牧師は言った。
こう言って、ヤーコブは一抱えもある手紙の束をレイラの前に持ちだして、仕事机の前に来るように促した。
仕事机についた牧師は、「さあ、手紙を読んでおくれ」と頼んだ。
ヤーコブ牧師は、レイラの仕事をあらかじめきっちり決めてあるようだ。レイラは、そこで気がついた。
終身服役囚レイラの恩赦を要請し続けたのは、ヤーコブ牧師だったのだ。
だが、レイラは神父に対して感謝の気持ちは湧いてこなかった。むしろ、余計な事をしてくれたものだ。世の中とか完全に絆を断ったつもりだったのに。もう社会には出るつもりがなかったのに、刑務所の外で生きる道を探さなければならないじゃないか!
というのが本音だった。