迷宮のレンブラント 目次
原題
見どころ
あらすじ
贋作の「天才児」
父と息子
画商たちの陰謀
レンブラント作品の追跡
出会い
絵の具と方法論
下準備
画家と鑑定家
恋の火花
父の肖像
奔りだした…筋書き
逃避行
追い詰められたハリー
意外で皮肉な逆転劇
営利事業としての美術

父と息子

  ハリーが11歳のとき、買い手がつかなかった父の描いた絵に手を加えて修正を施して売りに出した。すると、それまでだれ一人買い手がなかった作品に、数千ドルの値がついた。
  ハリーは、すでにその年頃に、画商や画廊が垂涎するような、あるいは愛好家が欲しがるような作風やタッチを深く洞察・察知する才能をもち合わせていたのだ。

  だが、ハリーは成長するにつれて、そのことが画家としての良心の痛みとなっていった。というのも、父親ミルトン・ドノヴァンは現代アメリカのアシュカン派 Ash Can school のすぐれた画家で、ハリーが修正を加えた作品は、都会の朝、工場に向かう労働者たちの姿を描いた秀作だったからだ。
  20世紀初頭のアメリカで生まれたアシュカン派は、組織されたアカデミックな絵画運動の潮流ではない。
  この派に属する画家たちに共通するのは、その時代の合州国の都会の身近な市民生活を題材・対象として描くということだった。ありふれた都市の街並みや路地、街を行き交う人びと、勤労市民とその家族などだ。
  であるがゆえに、富裕層が金を払って手に入れたくなるような作品ではない。庶民の日常生活風景を描いて、それを庶民に手ごろな価格で売る、慎ましやかなグループだった。それで、ハリーが手を入れて、金持ちの好みに合わせて売れるようにしたのだ。
  けれどもそれは、父が丹精こめて、そして自己の信念と技法を込めて描いた作品を「金のために」汚してしまうことだった。

  ハリーが幼い頃に母親はなくなり、父親ミルトンはイラストレイター(新聞、雑誌、書籍の挿画作家)をしながら息子を育て上げた。ハリーは、父の才能を受け継いだうえに、独特の「英才教育」を受けて育ったのだ。

  こうして、ハリー・ドノヴァンは画家になった。だが、身過ぎ世過ぎのために製作時間の大部分を「贋作」に振り向けるようになった。シニカルというか斜に構えた生き方を選んだということだ。
  彼が手がけた作品は、絵画史の古典的な巨匠の作品ではない。あまり画壇で名が売れていない現代作家の「未公表の作品」と思しき絵画を描くのが、彼の選んだ仕事だった。ただし、これから人気が出るかもしれない現代作家の未公表作品は、愛好家のあいだではかなり高値で取引きされるという。
  ドノヴァンは、筆使いや構図などの絵画の「見かけ」だけでなく、画家のものの見方や感じ方、表現方法、発想方法を洞察・分析し、その画家の技法や構想に酷似した作品を仕上げた。しかし、署名は入れなかった。画商業界に「この画家の作品だ」という評価をさせる、つまり贋作づくりの「最後の一刷毛 a finishing stroke 」(仕上げの筆)を塗らせるようにしていたのだ。

  とはいうものの、ドノヴァンは自分のオリジナルの作品づくりでは成果が上がらず、気分的に追い詰められていた。これまで置かれてきた環境のせいで、技法は身につけたが、自分自身の目標がみつからないというわけだ。そこで、やはり正規の画業教育を受けたい、ヨーロッパで画家修業をしたい、と。
  彼は父親に、贋作づくりはもうやめて、自分のオリジナル作品で食っていきたいという抱負を伝えたのだが。絵画の世界で「自立する」ためには、運よく「人脈」や「金脈」をつかまなければならないとも考えていた。
  そんなわけで、贋作づくりと手を切れないでいたのだ。

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