イアンたちは、エスパーニャのビスカヤ地方の貧しい村に住む農民に、海岸で古い漂着物と見られる箱のなかからこの絵を発見させる手はずを整えていた。その農夫は、画商たちが売り込むつもりの値段と比べてきわめてわずかの端下金で、喜んでその役を引き受けた。
画商たちは「発見された絵」をロンドンのギャラリーに運び込み、早速、専門家を呼び寄せた。デイヴィスは、17世紀のエスパーニャの画家デルピーニャの作品と思われるとして、オクスフォード大学の高名な絵画史教授に鑑定を依頼した。
その教授はブリテンでの最高の権威で、王室(女王)の美術顧問官を務めているという。
画商たちは、もう1人の有名な鑑定家も呼び寄せ、評価のクロスチェックをしようとしていた。
絵に見入った2人の鑑定家はしばらく声を失った。そしておもむろに、「この絵はデルピーニャの作品ではない。どこで発見したのです」と尋ねた。エスパーニャ北部の海岸で発見された、という経緯を聞くと、2人とも「レンブラントの作品に間違いない」と断定した。
他方、ドノヴァンはデイヴィスに約束の報酬の支払いを要求した。しかし、真作という評価が確定するまではダメだ、と「お預け」を食らっていた。
その後も、ごく内輪で有力な鑑定家や業界関係者が呼ばれて、鑑定評価をおこなった。
「お預け」を食らっているハリーは、画廊の片隅で手持ち無沙汰をかこち、身を待て余していた。そんなある日、ぼんやり画廊の1階の椅子に座って、何気なく海上を見上げた。そこには何と、あのマリエケが鑑定に訪れていた。
これまでギャラリーを訪れた学者や鑑定家の全員が「レンブラントの真作」と太鼓判を押していたにもかかわらず、マリエケだた1人、判定を保留した。彼女は、技法やタッチ(筆使い)が完璧で、少しの曇りもなくレンブラントの作風を示している、そのことが逆に疑いを呼ぶ、と述べた。
実は、彼女はマリエケ・フォン・ブロッホ――フォンがつく氏名が示すように、ネーデルラントの裕福な貴族の家系の末裔――という大学教授で、ヨーロッパでも随一のレンブラント絵画の碩学だという。ハリーも、読んだ多くの研究書のなかにその高名は何度も目にしていた。
疑問を口にしてギャラリーを後にしたマリエケをハリーは追いかけた。そして、彼女に追いつくと、問い詰めた。
「大学教授だったんだ。修復学の研修生というのは嘘だたんだね」
「いいえ、研修生という身分は本当よ」
「でも、どうしてあの作品がレンブラントの真作ではないと疑うんだ」
「何もかもがピッタリ収まりすぎている。完璧すぎるのよ。でも、絵画史とか画商業界では十分「真作」として通用するでしょうね。
きょう私は忙しいの。オペラを見にいくの。でも、見終わる前に、また列車旅行に出なくちゃ。
とにかく、彼らはあの絵を有名な公開オークションに出展する予定らしいわ」
それを聞いたドノヴァンは、血相を変えて画廊に戻った。
そんな大っぴらなオークションに出すという冒険に出せるほどの技量と自信はない。奴らは、売値をどんどん吊り上げようとして、とんでもないリスクを冒そうとしている、止めなくてはと。
ギャラリーでは、デイヴィスと、イアンとヒガシの2人とのあいだに深い亀裂が入り始めていた。評価額を吊り上げるために話をどんどん大きくし、計画当初の売り込み予定者を外してしまう強引なやり口に、イアンとヒガシは反発していた。そして、近いうちにデイヴィスを仲間から追い出そうとしていた。
他方、デイヴィスは力づくで2人を言いなりにしようと画策していた。
そこにドノヴァンが駆け込んできて、 「公開オークションに出展するなんて気違い沙汰だし、約束と違う。自分たちからレンブラントだと言い出せば、完全な詐欺だ。マリエケも疑っているじゃないか。…この絵は渡せない」と言って、絵を巻き取って筒に入れ、もち去ろうとした。
それを止めようとして、デイヴィスは銃を取り出した。ドノヴァンはデイヴィスの体当たりして、落ちた銃を拾うと、ヒガシの肩越しに壁に向けて威嚇発砲した。そして、銃から弾挿を抜き落として捨てると、飛び出していった。
ところが、その後…。
銃と弾挿を拾い上げたデイヴィスは、装填してヒガシを撃ち殺した。そして、イアンに口封じをしてから警察に通報させた。仲間外れにされたハリーが、ヒガシを射殺してレンブラントの絵画を奪って逃げ去ったとして、強盗殺人の罪をかぶせたのだ。
デイヴィスとしては、最近盾突くようになったヒガシを排除して、ハリーに罪をかぶせ、警察に絵の奪回の手助けをさせようという腹だった。