迷宮のレンブラント 目次
原題
見どころ
あらすじ
贋作の「天才児」
父と息子
画商たちの陰謀
レンブラント作品の追跡
出会い
絵の具と方法論
下準備
画家と鑑定家
恋の火花
父の肖像
奔りだした…筋書き
逃避行
追い詰められたハリー
意外で皮肉な逆転劇
営利事業としての美術

絵の具と方法論

  1人残されたハリーは絵に近づき、こっそりとキャンバスの端っこの重ね塗りした絵の具ペイントをこそぎ取り、小さな収集瓶に保存した。レンブラントが実際に使用した絵の具の成分を調べるためだ。

  レンブラントの時代、絵の具は画家や絵画工房の徒弟たちが自分たちの手でつくった。顔料となる金属塩(酸化物・塩化物・硫化物)や鉱物粉末などを集め、それをさらに加工(酸やアルカリを加える)したり混合したりして、それににかわ質などの粘着材や添着材あるいはヴァーニッシュ(光沢材:ワニス)を加え、さらにテレピン油や鉱物油で溶いて、絵の具にした。
  テューブ入りの絵の具が出現したのは、ようやく19世紀後半から末だった。
  簡単に携行できる絵の具が手に入るようになってはじめて、画家たちは工房や画房(アトリエ)を出て戸外=野外で、すなわち自然光のなかの色彩を実際に目にしながらキャンヴァスに彩色塗布することができるようになった。
  そのときようやく、屋外の自然光や色彩の「印象」を「できるだけそのまま」再現しようとする絵画思想・方法論が生まれ、技法が洗練されていくことになった。バルビゾン派(印象派)は、このような物質的条件と思想的条件が結びついた時代に登場した。

  光の微妙な陰影や輝き、光による色彩の変化それ自体を再現する技法が、すでにフェルメールやレンブラントの時代に洗練されていたのに、印象派の登場がそれより200年以上も遅れたのは、少なくとも、

  1つには、自然の風景や光景が「物語や人物像の背景」のなかから自立して――副次的・従属的要素としての地位を脱して――それ自体で美の対象やテーマとして意識され、描かれる価値があるものと見る思想や方法論が生まれること、
  2つめには、自然の風景や光景を野外で見たまま、印象のままに写し取るための物質的条件――テューブ入り絵の具や簡易画架など――がそろうこと、
  3つめとして、都市住民のなかに専門職層(法律家や会計士など)や官吏、銀行員などの都市中間層が形成され、彼らがそれなりの俸給所得を得て、家族をともなって郊外などで余暇を楽しむ習慣が広がり、近郊への小旅行を可能にする鉄道――そのほか舗装した馬車道や河川や運河を運行する客船――などの交通手段の発達(物質的条件)が生じ、かくして、自然風景や野外景観を身近に感じる人びとの美意識(文化的条件)が成長したこと、

  などの条件が結合する必要があったからだと言われている。

  ところで、野外や室内の景観をそれ自体として絵画の主題対象とする方法への歩みは、画家が属する団体や共同体の伝統的な約束ごと――イコノロジー――から描画作業を解放して、すぐれて個人的な営為としていく過程でもあった。伝統的なイコノロジーとしては、聖女マリアを描く際には貞潔を表す「白ユリの花」を描くことなどがある。
  それはまず、商業都市と商人が台頭したイタリアやネーデルラントで、人物像を歴史物語や宗教的寓意、表象上の約束ごとから切り離して――肖像画として――人物個人の人格性や家族関係そのものを描く方法として現れた。
  それまでは、画家(工房)がスポンサーとなる人物を描く場合、過去の歴史的事件や聖書の物語の一場面に――物語場面に仮託しながら――登場人物のひとりとして描いていた。
  また、劇的な場面が描かれるさいには、比較的最近起こった歴史的な事件や日常活動の光景を報道するような描き方になった――戦争、交渉、祭事の光景など。今日の報道写真の役割のような。
  たとえばレンブラントの『夜警』は、そんな描き方の典型だ。夜警隊メンバーのなかにスポンサーとなった富裕商人が描かれているという。

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