さて、ネヴァダ州リノのカジノ歓楽街にある劇場で歌っていた歌手兼編曲者、デロリス・ヴァン・カルティエ――演ずるのはウーピー・ゴールドバーグ。カジノの顔役でマフィアのボス、ヴィンセント・ラロッカの愛人だった。
ところが、ヴィンセントが手下の若造を殺害する場面を目撃したことから、身辺が危うくなった。捜査当局は、マフィアのボスの魔手からデロリスを殺人事件の目撃証人として保護することになった。を殺人事件の目撃証人としてマフィアの目の届かないところに身を隠すことになった。
事件担当の刑事の手配で身を潜めることになった場所は、なんとサンフランシスコ市内のカトリック修道院、セイント・キャサリン尼僧院だった。セイント・キャサリンとは聖女カタリナのことだ。聖書に登場するカタリナは何人もいるし、聖女カタリナも古代アレクサンドリアのカタリナと中世シエーナのカタリナと少なくとも2人はいるので、誰を祀った修道院化はわからない。
それにしても、「サンフランシスコの聖カタリナ修道院」とは、映画の制作陣もくどい状況設定をしたものだ。サンフランシスコとは、大富豪の家門に生まれながら、俗世の欲望を捨てて赤貧の修行と民衆の救済に献身した聖フランチェスコだ。そして、聖カタリナを祀る尼僧院。キリスト教世界の人びとにとっては、いかにも俗世間から最も遠い場所という響きがするではないか。
世知辛いショウビズネスの世界の裏表を知り尽くし、生き抜くためにはマフィアのボスの情婦にさえなっていた、すれっからしのデロリス。何と、彼女は禁欲と静謐と貞潔こそが求められる尼僧院に匿われることになった。
毎日巨額のあぶく銭が集散する賭博・セックス・虚飾の欲望が吹き荒れている「ソドムのように堕落し切った」街から、禁欲と規律の世界に身を置くことになった。しかも、元の身元を隠し尼僧たちにまぎれるために、彼女も修道女として振る舞うことになった。
デロリスは、修道院長のマザー・スュペアリアから「メアリー・クラレンス」という修道女名を与えられて、修道女の衣装を着ることになった。そして、世俗との交流を果敢に試みてきた修道院からここに転籍してきたことにした。
「俗なるもの」と「聖なるもの」との衝撃的な出会い!
世俗化された「仏教徒」が多い私たち日本人にとっては、物語のこのプロットがどういうイメイジになるかはピンとこない。だが、欧米人なら、これだけで大笑いの冗談じみた状況設定となるはずだ。
さて、そんな状況の変化だから、初日からデロリスは修道院の規則や慣例と激しくぶつかり合う。
とはいえ、尼僧院の修道女たちは、修道院長の方針で外の世俗世界と切り離された日常を送っているためか、外の世界から転籍したことになっているデロリスに興味津津。新奇な存在としての彼女は、いたく尼僧たちの好奇心を刺激した。
尼さんになっても女性たちの好奇心は変わらない。