サンフランシスコの聖カタリナ修道院聖歌隊の偉大な達成は、カリフォーニアの枢機卿にも知られ、さらに声望はヴァティカンの教皇庁にも届いた。その結果、アメリカ訪問を予定していたローマ教皇が特別に時間を割いてこの修道院にやって来ることになった。
修道院長は教皇の前ではせめてグレゴリオ聖歌などを……などとも考えたようだが、オハラ司教の方針でデロリスのようにポップ路線でいくことになった。やはり宗教=信仰としてのカトリックの布教・浸透のためには、ただ旧来からの形を守るだけではなく、現代人に需要理解される形にして発信する必要があるというわけだ。
その日がやって来て、教皇は大勢の枢機卿やら大司教を引き連れて聖カタリナ修道院の聖堂の貴賓席におさまった。満場の列席者観衆の前で、デロリスが率いる聖歌隊が神の愛を讃えるいくつもの歌の演奏していく。もちろんポップでソウルフルな曲目ばかりだ。
映像では、はじめは厳粛な態度で演奏を聴いていた教皇だったが、いつのまにか多数の聴衆と一緒にメロディーやリズムに合わせて手をたたき身体を揺すっていた。
演奏の終了後、教皇は聖カタリナ教会の新たな画期的な運営スタイルを褒め称えた。なかなか策略家のオハラ司教は、この変革と偉大な達成は修道院長の手腕によるものと説明した。そうなると、教皇庁側としては、修道院長に今後も現在のポストにとどまり続けて、修道院とこの地域でのローマ教会・修道院の活動を指導・支援するようにと督励することになる。修道院長は身を退くことはかなわなくなった。
そして、こうした「修道院革命」に率先して取り組み、聖歌隊の新たな運営スタイルを創出したデロリスは教皇とも対談し、一躍「時の人」となった。アメリカの主要なメディアがデロリスを取材特集し、彼女が雑誌『タイム』や『ニュウズウィーク』の表紙・巻頭を飾ることになった。
こんなに楽しい映画作品が生まれ成功した要因のひとつは、やはり主演、ウーピー・ゴールドバーグの輝くような卓越した個性と演技、独特の存在感だ。
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