原題は、The Mission。1986年の作品です。
このミッションという語には、伝道活動、布教、神から与えられた使命、特派された宣教師使節、布教区(聖域)などいろいろな意味があります。この作品は、このすべてに当てはまるようです。
16世紀からこのかた、ヨーロッパ(ヴァティカン)からラテンアメリカには、多数の修道士が司祭や宣教師活動のために派遣されてきました。ローマ教皇から「カトリック王」の称号を贈られたエスパーニャ王権は、アメリカへの布教や植民地統治の補佐役として多数の修道士を派遣しました。
彼らは、一方ではヨーロッパの植民地支配のために、この支配を補完する――宗教・文化活動を担う――イデオロギー的=政治的装置としての役割を担わされていました。
しかし他方で、ローマ教会の修道士の多くは、全世界にキリスト教の思想や神学的世界観を広めるという理想に燃えた真摯な 宗教家でもありました。
神の恩寵や保護を原住民に与えるという目標を信じていました。
ところが、彼らが目にしたのは、ヨーロッパ人たちがインディオを過酷に収奪・抑圧する悲惨な事態でした。
そういう植民地支配に積極的に加担すれば、大きな富を手にし、ヨーロッパに帰還してから教会組織で栄達・出世することが約束されました。
しかし、貧しく打ちひしがれたインディオを擁護するために、本国の王権や教皇庁にインディオやクレオーソ民衆の保護を訴願したり、現地領主や行政機関の横暴に抵抗する修道士たちも数多くいたようです。
この作品が制作されるようになった背景には、1960年代から80年代にかけて目立ち始めた、ラテンアメリカの各地での《解放の神学》、または「赤い修道士」たちの活動や彼らの国際的な告発・啓蒙活動があるようです。
《解放の神学》とは、ラテンアメリカで、貧困や抑圧にあえぐインディオや下層民衆の権利や生活を保護し向上させるために活動するキリスト教の修道士や神父たちの運動や思想を意味します。
なかには、左翼やマルクス主義者たちと連携・同盟して、先進諸国の企業の横暴や現地の独裁政権に対する抵抗運動を指導し組織化する修道士もいました。そこで、「赤い(左翼化した)修道士」とも呼ばれることがあります。
ニカラグァのサンディニスタ政権には、数多くのイエズス会修道士たちが参画して《解放の神学》を実践しようと奮闘しました。
《解放の神学》が注目を浴びるようになったということは、ラテンアメリカにおける貧困や格差、軍部独裁、政治的抑圧などという問題がそれだけ深刻に意識されるようになったという状況が背景にあるということにもなります。
したがって、この作品は、すぐれて現代的な課題意識や問題意識によって制作されたということでしょう。
考察のテーマと見どころ:
ラテンアメリカの各地では、つい半世紀前までヨーロッパや北アメリカの諸国家による植民地支配や収奪が横行していました。やがて、それは現地の軍部独裁政権による政治的抑圧とか、それを媒介とする先進諸国資本による経済的支配・収奪に取って代わられます。
この作品は、かつての植民地支配の暴力や横暴が描かれています。
そして、インディオと彼らに味方する修道士たちがヨーロッパからの植民者によって暴力的に押しつぶされていく悲惨な過程が描かれています。
ラテンアメリカでは16世紀から、ローマ教会(カトリック)の修道士・神父たちのなかには、貧しく打ちひしがれたインディオや下層民衆を擁護するため、母国ヨーロッパや現地の権力者たちを向こうに回して闘いを繰り広げてきた者たちがいました。
それが「神の愛」や「真実」の実践だと信じていたのです。
ここでは、この映画が描いた悲劇とその背景にある歴史を追跡して、《解放の神学》の歴史的起源を探ります。
悲劇の背景に、エンニオ・モリコーネの美しい音楽が流れ続けます。クラシック音楽ファンには見逃せない、芸術性がきわめて高い作品です。
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