ヨーロッパにおける海運・船舶通商の歴史は、それ自体軍船・軍艦の発達史にほかならない。というのも、大量の富を積載した商船は、貪欲な外敵から狙われやすく、それゆえ防衛のために船員や船舶は武装し、すぐれた戦闘能力を備えていたからだ。
安全な通商航海というものは、すなわち十分な武装と戦闘能力の保有を意味していた。
12世紀から14世紀にかけて、地中海における貿易競争で、それゆえまた船舶による輸送と軍事力で最優位に立ったのは、ヴェネツィアだった。
その土台は、地中海東部の各地に確保した多数の交易拠点と軍事拠点の管理運営システムもさることながら、なによりも船舶の性能だった。つまり、造船技術と操船・航海技術、運用技法だった。
ヴェネツィアの冒険通商航海用の船舶は、武装したガレー船(舷側にオールの漕ぎ手が配置された船)だった。造船技術の発達によって、まもなく舷側のオールは上下2段となり、航行速度は大幅に上昇した。
14世紀までには、オールとの併用の帆がついた帆走ガレー船(ガレアス船)が登場した。いずれも地中海で随一の積載量を誇る船倉を備えていた。より多くの積荷(財貨・商品)をより速く、より遠くまで、効率的に運搬できた。
そして、何より海戦に強かった。この時代から16世紀まで、船舶どうしの戦争では、舷側接近と接舷乗り込みによる闘争と掠奪戦が最も主要な戦闘形態だった。
そのさいには、船舶の速力と操舵能力が決定的に重要だった。ただし、オール漕ぎ手が並ぶ舷側はかなり無防備で、大きな弱点だった。
ヴェネツィアのガレー船やガレアス船と乗組員は、そのいずれにも長じていた。しかも、ガレー船はいち早く弩(cross-bow:いしゆみ)を設置し、遠い距離から敵船の漕ぎ手や戦闘要員に大きな打撃を加えることができた。
クロスボウ(いしゆみ)とは名前のとおり、巨大な弓の中央部に矢の装填装置を交差させて、威力を増幅した弓で、射程は100メートルを優に超えるものもあった。
やがて火縄銃・火砲が発明されると、船舶にも装備されていった。甲板が比較的低く喫水が浅いガレー船やガレアス船は、弩や銃を船首と船尾に配置しても、重心が高くならなかった。安定性を保つことができた。
ただし、舷側にはオールと漕ぎ手が配置されていたから、弩や銃砲による武装は船首と船尾に限られていた。
そのほかに、火薬や油を布で巻いてつくった焼夷弾をカタパルトで発射する装置もあった。
だが、動力と戦闘能力の主要な担い手は人間であって、その分、船内に食糧や水を大量に積み込む必要があった。そうなると、交易用の荷物の積載量は限られ、補給のための寄航の回数も多くなり、冒険航海の射程距離も短くなった。