旧ソ連社会の構造を探る 目次
世界市場的文脈におけるソ連国家
国家の存立根拠について
「国家」とは何か
世界経済の文脈での国家の成立根拠
国家資本主義的独占の失敗
中央計画経済の現実
計画経済の袋小路
ソ連・東欧レジームの崩壊へ
おススメのサイト
異端の挑戦
炎のランナー
旧ソ連に関する映画
レッドオクトーバーを追え
ヨーロッパの解放

中央計画経済の現実

  さて、「国民経済」総体としての生産の無政府性――多数の企業が均衡への配慮の欠如させたまま競争し合う市場構造――を克服するために、国家の中央計画で社会の生産全体を制御調整、統制するというのが、計画経済の理想であった。この計画を社会全体に貫くために、強制権力を保有する中央国家装置が社会全体の主要な生産手段を所有=支配しなければならないということになっていた。
  だが、中央国家装置が社会全体の経済運営を計画的に規制するということ、つまり計画経済の形態(外枠)だけでは、生産の無政府性を少しも克服するということにはならない。「個別企業のあいだの競争がない」というだけでは、生産の無政府性はけっしてなくならないのだ。
  市場目当ての無政府的競争が展開される社会的分業体系の根幹には、競争者のうちの誰かが社会・多数者のニーズに合った生産物を供給できるということで、無駄は多いが、ともかくも総体としての社会のニーズに照応した生産物が生産・交換。分配されるというメカニズムがある。不安定で不均衡な運動のなかで、最終的に社会全体の物質代謝の循環が成り立つということだ。

  無政府性の根本原因は、相互に自分の利害だけを追求する個別経営体の競争のなかでは、社会の総体としての欲求=ニーズの質と量が認識されないということにある。社会のニーズの質と総量があらかじめ把握されていれば、それに応じて、バランスをとって、さまざまな生産部門に必要な量の生産財・資源と人員・時間を配分することができる。
  とはいえ、これは理論上のシミュレイションでしかない。
 つまり、  では、誰がどのような経路や組織形態をつうじて、複雑多岐な社会全体のニーズの質と量を調査把握するのか?
 多数の個別企業が分立・競争している状況では無理だが、かといって、これらの経営体を中央国家装置が法的制度によって統一的に支配する仕組みをつくってみても、やはり、社会全体のニーズの質と量の把握は不可能である。


  たとえば、どこかの国の政府が域内の住民と企業のすべてに調査票を送って、「あなたがたが次の1年間に購入ないし消費したい物品をすべて記入してください」と調査を開始したとしよう。この調査票への完全な記入は可能だろうか。まず無理だ。というのは、その物品の素材や品質、仕様性能、工程工法などはじつにさまざまだし、1年間となるとどうしても量は変化する。
  さらに、個別企業や技術研究機関がテクノロジーの研究開発をするから、生産技術や工法、工程は不断に変化する。製品品目はもとより、部品や素材もまた変化する。技術的可能性や応用可能性が変化すれば、ニーズの質と量も変化する。
  だから、仮に「調査票」が記入され集計されたとしても、この集計過程、それを生産計画に持ち込み策定し、個別経営体に割り振り、資材の流通や分配を段取りしているあいだに、技術や製品は変化し、ニーズは変化していってしまう。人間社会とは、そういう混乱に満ちた不合理な構造の運動体なのだ。
  手続きが煩雑な官僚組織をつうじて計画ができあがり、さらに個別経営、個別工程にブレイクダウンする頃には、生産目標・指標はすっかり「時代遅れ」になってしまう。

  これは、計画資料を収集して目標を策定する国家装置がすばらしく柔軟で迅速に機能したとしても、の話である。しかも、硬直的な官僚装置や党組織が、政治がらみの目標や指標を持ち込むようなソ連の兵営型レジームでは、こういう理想状態からはるかに程遠い、一面的で歪んだ生産計画と制御方法ができあがったのは、言うまでもない。

  ところで、それでも、中央計画システムの生産計画を社会のニーズ変化の実情に極力接近させようとするならば、きめ細かな(インプット・アウトプットの)フィードバックの仕組みが不可欠だ。そのためには、計画過程と生産制御過程をできるだけ非政治的なものにして、つまり官僚組織の内部での予算や権限の奪い合いや派閥闘争をなくし「役人意識」をなくして、柔軟に計画の変更や修正――つまり誤りの発見と修正調整――をおこなう必要がある。
  しかし、計画の執行と達成が「党の支配の正当性と権威」を基礎づけるというイデオロギーが蔓延する社会では、計画化過程はまさに政治プロセスそのものでしかなくなってしまった。つまりは、指導者の意図や価値観の序列が、権力闘争や派閥闘争、駆け引きのなかで変動し、歪んでいくことは避けられない。
  日本の政府の政策形成・運用の過程を見るがいい。旧ソ連よりも自由なこの日本でも、行政官僚は自分たちの誤りや手違いを認めようとはしないし、まして部門間の足の引っ張り合いや権限争奪戦は活発ではないか。企業の内部ですら派閥闘争や権限の奪い合いがあるのが実態だ。
  人間社会では、国家組織でも企業組織でも権力や地位の序列とか優劣関係があるところでは、権限や資金の奪い合いや足の引っ張り合いがあるのだ。

前のペイジへ | 次のペイジへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界