それにしても、この作者(惣領冬実)はじつにセンスがいい。この物語が始まり展開する時間と場所の設定がすばらしい。
1491年のイタリアの港湾都市ピーサ。
これがチェーザレの物語の端緒になっている。それはまた、チェーザレが出会う人物たち(あるいは人びとが絡む事件)の配置にも現れる。
1491年といえば、あのクリストーバル・コローン――ラテン読みでクリストフォルス・コロンブス――が大西洋をひたすら西に進む航海を企図して、インドへの新たな航路開拓を求めていたときだ。
この自己顕示欲が強く狂信的な使命感を心に抱く野心家、冒険商人コロンブスとバレンシーアの商業貴族でもあるボルジア家とは、経済的にも政治的=軍事的にも結びついていたという。
物語のなかで、チェーザレは、父親のロドリーゴをつうじてピーサの政治的攻略のために用いる大量の砂糖をコロンブスに船荷輸送させている。
そして、翌年、ロドリーゴ・ボルジアはローマ教皇に選出され、アレクサンデル6世を名乗ることになる。
その頃まで、ローマはもの寂しい田舎町で、イタリアの教皇(教皇庁)は辺境の田舎の聖界領主の頭目にすぎなかった。
というのも、少し前まで、ローマ教皇と教皇庁はフランス南部のアヴィニョン(ヴァロワ家の直轄領)に縛り付けられていて、フランス王権の影響をもろに受けていたからだ。
フランス王の庇護と支配を受けているアヴィニョンの教皇とは別の教皇が選ばれて、ローマに何とか帰還して、ようやくローマに教皇の家政装置を形成し始めて間もないときだった。
しかも、その少し前までローマ教会では、アヴィニョン系の教皇とイタリア(ローマ)系、さらにはオーストリア大公の意を受けたさらにもう1人の教皇が、並び立ってそれぞれに教皇としての正統性を主張し、教会組織は分裂し紛糾していた。そういう状況がまだ記憶に鮮明に残っている頃だった。
チェーザレはこの年、メーディチ家のロレンツォ・イル・マニフィーコに招かれてフィレンツェを訪れ、レオナルド・ダ・ヴィンチと出会っている。
それまでレオナルドは、北イタリアの有力都市国家、ミラーノの君侯、スフォルツァ家(ヴィスコンティ家から権力を簒奪)の軍事顧問をしていたが、スフォルツァ宮廷では孤立していて、別の仕官先を物色しているところだった。
そして、ボルジア家との同盟を結んでいたメーディチ家の当主、ロレンツォはその翌年、没することになる。それはフィレンツェの混乱の始まりを意味していた。
さらに、その偉大なロレンツォの(一番聡明な)息子、ジョヴァンニは、ピーサの大学の最優秀学生で、チェーザレの協力者でもあれば学術上のライヴァルでもあった。
このジョヴァンニこそ、やがて枢機卿になり、のちのローマ教皇レオ10世となる希代の策略家にして辣腕家なのだ。
これだけでも、この時代のイタリアやヨーロッパの歴史に高名を残す、そうそうたる人物配置ではないか。