さてその日、3人は、ネショーバ郡内のロングデイルに出かけた。5日前に焼き討ちにあったキリスト教会(の焼け跡)を訪ねるためだった。この教会は、この地方の市民運動家たちの交流の場であり、また集会拠点・連絡事務所にもなっていた。そのために、差別主義者の目障りになって、襲撃・破壊・放火されたのだ。
その帰り道、彼らは市民運動を束ねる連合団体の事務所に立ち寄った。若者の公民権活動に反発する地元住民(ことに有力者層)が醸し出す不穏な雰囲気を察知して、もし4時30分までに事務所に連絡を入れなかったら、FBIに捜索願いを出すように打ち合わせた。
そこを出てからしばらく走ると、地元の保安官補が3人の車を停止させ拘束した。嫌疑は運転者、ジェイムズ・チェイニーのスピード違反だった。保安官補は、残りの2人も拘束して、尋問し、拘束者リストに記載した。
その後、3人に食事を与えたのち、真夜中にミシシッピ州から立ち去るように勧告(威圧)してから、保安官補は彼らを解き放ったという。それが保安官補帆の言い分だった。
その後、彼らは消息を絶ってしまった。
郡保安官は、「やつらは、たちの悪い噂を撒き散らしていたが、もうどこか別のところにいってしまった」とコメントし、州知事は「やつらは今頃、キューバにでもいるさ(アカだから)」と報道に答えたという。
州知事から市長や町長、保安官まで、地方ボスたちはほとんど全員が露骨な差別主義者で、連邦や北部の批判や介入を不快に思っていた。
FBIは捜査に乗り出したが、3人の行方は杳として知れなかった。そこで、3人の所在についての情報提供者に高額の賞金をつけて、情報を求めた。すると8月になってから、匿名の情報が寄せられた。それにもとづいて、捜索したところ、フィラデルフィア近くの農場に埋められていた3人の死体が発見された。
2人のユダヤ人は心臓を撃ち抜かれ、黒人はひどい殴打のあと3回も銃撃を受けていたという。
その後の捜査は難航したが、郡の保安官と保安官補や地元の顔役をふくむ16人が訴追され、保安官補をはじめとする7人が有罪となった。
けれども、一番の黒幕の1人で、バプティスト派教会の臨時牧師で説教師のエドガーは、証拠不十分で無罪となった。だが、彼は、40件以上の殺戮事件に関与していた。これは、その後、ついに別の事件で逮捕され、多くの証拠が出たことから、判明した。彼は有罪宣告を受けることになった。
この種の多くの事件は、捜査や裁判が難航し、事件発生から10年、さらに20年以上かかってようやく容疑者や首謀者の有罪判決が出る場合が多かった。日本よりも訴訟制度が完備され、法律家や捜査機関がはるかに効果的に機能しているかに見えるアメリカですら、問題が根の深い差別や社会の恥部にかかわっていると、こんなありさまなのだ。
合衆国ではあからさまな人種差別はあまり見られなくなりつつあるが、差別意識や格差構造によってもたらされたと見なされる暴力事件やヘイトクライムはむしろ目立つようになっている。
最近、警察官が職務質問などにさいして無抵抗の黒人を射殺したり暴虐したりする事件が続いている。これは、かつてのように黒人抑圧や圧迫をはじめから意図した犯罪というよりも、訓練の浅い無能な警察官が、人種差別意識や偏見によって黒人を犯罪者扱いし、しかも怯えながら冷静な判断ができずにやみくもに銃撃してしまい、それを隠蔽しようとする傾向にあるように見える。
隠蔽にはしるところを見ると、警察官としての職務規程や倫理義務に違背する行為をしてしまったという事実認識はあるようだ。黒人を暴虐して平然とするという意識や心理はかなりなくなっていると見ていいだろう。その意味では、公民権運動の成果は社会に浸透してきてはいるようだ。
だが、黒人を怪しげな人物とか犯罪者だとか、危険だとか見なす差別意識がはたらいていることは否めない。そして、銃や兵器が野放しになっているアメリカ社会の状況からして、訓練の浅い未熟な警察官たちは、冷静に状況を判断できずにやみくもに銃を撃つ習性にとらわれているのかもしれない。
それにしても、市民たちは人種や民族にかかわらず連帯して、そういう警察官の暴虐行為に対して異議申し立て運動をおこしているのは、民衆が担っているアメリカの民主主義の強さや健全性を見る思いがする。なにしろ、いま政策の良し悪しはともかくとして、黒人(アフリカ系アメリカ人)が大統領となっているのだ。
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