《ゴジラ》を筆頭とする怪獣映画は、世界の安全保障や政治的・軍事的環境のなかでの日本の地位や位置づけの問題を、良くも悪くも反映している。今回は、東宝のゴジラ映画シリーズ(主に1954年版、1984年版)をつつき回しながら、このような視座から考えてみる。実際には相当深刻な問題が提起・投射されているのだが、「たかが怪獣映画」と割り切って、肩の力を抜いて安保・軍事問題を眺めてみよう。
84年版ゴジラ映画では、日本はかなり深刻な軍事・安保環境のもとに置かれている。ある意味で、世界の軍事システムにおける現実の日本の地位を、茶化して映し出しているかに見える。だが、見せ場をつくるために、かなり無理な状況設定にしてあるようにも思える。これについて、考えてみよう。そしてさらに、そのほかのゴジラ映画や怪獣映画についても突いてみよう。
ゴジラの都市破壊のスタイル、ゴジラ対策を進める面々のキャラクターなど、考察すべき点はいくらでもあるので、これらについても検討してみる。
私は子どもの頃から「怪獣映画」が大好きだ。それが昂じたせいか、少年時代から今にいたるまで、恐竜や三葉虫を扱う古生物学とか自然史、自然環境に関する書物(専門書や研究書)や映像も大好きだ。この地球上に存在した奇妙な生物や巨大な動物を知るのは面白い。
ウェブが発達してからは、世界中のこれに関するサイト(ただし、読みこなせる言語に限る)を徘徊している。やはり、アングロ・アメリカンの博物館研究所とかのサイトでは、画像も含めた情報を読みやすく、かつ専門性を備えた内容構成になっている。その点、日本はまだまだ後進国かもしれない。
だが、日本の映画制作陣は怪獣映画というファンタジーのいくつかで、生物史や進化論とは別の次元で、現代世界の抱える問題を面白く提起しているようにも思える。たかが、怪獣映画なのだが・・・だから、面白く観るだけで、映画作品が(作り手、送り手の意識とはまた別に)内包している問題群をやり過ごしてしまうことも多い。
今回は、そうした問題群を「軽いのり」で小突き回してみたい。
私がはじめて怪獣映画を観たのは、小学校の1年か2年の頃で、《キングコング対ゴジラ》だった。
年末年始休みの、長野の厳しい冷え込みの朝、同級生の母親が近隣の子どもたちを集めて連れて行ってくれた。4キロメートルの道のりを子どもたちは、氷点下10℃前後の外気のなかで、凍てついた道を踏みしめながら、期待に目を輝かせて歩いて映画館に行った。その頃には、人口2万前後の小さな地方都市にも映画館が2つか3つはあったのだ。
はじめて特撮怪獣映画を観る私には、キングコングもゴジラもまるで「本物」のように迫力があった。私は冬の寒さも忘れて、スクリーンに見入っていた。そのころようやく登場したカラー映画で、色彩については「総天然色」と呼ばれていた。
数年すると、TBSテレヴィでは、「ウルトラQ」「ウルトラマン」を放映して、私は怪獣中毒の少年になった。
ただし、物心ついていからの特撮映画だったこととて、百科事典=図鑑で恐竜に出会った経験の方が、怪獣映画よりも古かった。保育園児のときだった。そういう巨大で奇妙な大古代の生き物に関心を抱いていた少年は、怪獣に「はまった」のだ。映画の物語自体が、怪獣を古生物巨獣の復活という文脈で出現させていたのだ。
ところで、1960年代にはTVアニメ《鉄腕アトム》や水木しげるの妖怪漫画もブームとなっていたので、私の頭のなかは、怪奇なるものへの憧憬と科学への関心とがないまぜになっていた。
ただし、オリジナルの《ゴジラ(54年版)》をきちんと全編きちんと観たのは、大人になってからのことだった。学生時代に、池袋の文芸座での怪獣映画上演のたびに観にいったものだ。そのとき感じたのは、怪獣映画はやはり映画芸術と呼べるほどの作品だということだった。
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