映像物語と音楽 目次
中世からルネサンスへ
誇張=バロックの時代
「古典音楽」の時代
総合芸術の時代
映画の誕生
映画と音楽
名画と名曲のコンビネイション
印象的な映画音楽
1 レッドオクトーバー…
2 ミッション
3 アマデウス
4 オーケストラ!
5 V フォー ヴェンデッタ
6 小説家を見つけたら
小  括

映像演劇と音楽との連結

  この記事は、きわめて断片的な知識と私の主観にもとづいて書かれています。「そういう見方もあるか?」くらいに、頭から信じることなく、批判的な目で疑いながら、ほかの情報で検証しながら読んでください。

  今では、映画と音楽は密接不可分に結びついていて、音楽は映画芸術のなかの本質的な要素になっています。
  だから、普段私たちは、映画と音楽との融合は「当たり前」のことと感じています。
  しかし、人類のテクノロジーの歴史から見ても、芸術の歴史や内容という視点から見ても、映画と音楽との結合は、ものすごく大きなできごとなのです。
  それこそ、歴史を画し、人類の視覚的・芸術的・音楽的な感性や、物語の語り方を決定的に転換したできごとだったのです。

  というわけで、映画と音楽との結びつきの歴史を考えてみることにします。

■中世からルネサンスへ■

  映画(映像物語)と音楽との結びつきの歴史の発端は、「上演する物語」すなわち演技・演劇のなかに音楽の要素が取り込まれていく過程にあるかと思います。

  歴史のうえでは、演劇などの物語興業ないしは視覚的な物語上演と「音楽」との結びつきは、ヨーロッパ中世(11〜13世紀)にはすでに見られたといいます。

  そもそもは、韻律(=詩の性格)を帯びた台詞を、リズムや旋律などをともなう抑揚のきいた吟詠・吟謡で表現したそうです。
  とはいえ、ローマ教会の神学(禁欲戒律)が人びとの精神世界を決定的に左右して頃ですから、きわめて慎ましやかに、というよりも動きや変化に乏しい表現の世界だったかもしれません。
  人びとに神や信仰以外の感動をもたらすことは、「表向きは」罪とされていたのですから。

  当時、肉声による歌唱や楽器の演奏は、正規の音楽(ムージクム: musicum )に属すものではなく、一段低い、卑俗な技芸と見なされていました。

  その頃、のちに音楽となるはずのムージクムは、中世ローマ教会の神学的世界観にもとづくメタフィジークの1部門で、「音学」というべきものでした。神学に仕える侍女なのでした。
  音楽の部門のうち、「宇宙(神が造った世界)の音楽:musica mundana(ムージカ・ムンダーナ)」が最上位に位置づけられ、そこでは数学と密接に結びついて、神の意思を反映する宇宙の秩序=摂理(それが音の揺らぎとして現れるものとされた)の探求をするものとされていました。
  その次に位置するのが「人間(の世)の音楽: musica humana (ムージカ・フマーナ)」で、精神や人間社会の秩序を探求する学問であり、教会や修道院などで神の意思を人間に伝えるべき音をも探求していました。
  一番下位に位置づけられたのが「楽器(人の声を含めて音響を発するもの)の音楽: musica instrumentalis (ムージカ・インストゥルメンタリス)」で、これが声や楽器の演奏の法則を探求していました。

  総じて中世の音楽は、演奏などによる音響の美しさを感じ楽しむものではなく、むしろ人の耳に聞こえる音を頼りに、この世界=宇宙に響き渡っているけれども、人の耳には聞こえない摂理(神の意思)や秩序、調和を探る学術というべきものでした。
  物体の振動が音を発し、音媒の長さと音程の高低は反比例の関係にあること(倍音の理論)が、古代から知られていました。ピュタゴラスはその数的比率関係を定式化し、それを宗教的信仰に仮託したのです。

  ムージークムは、むしろ音響の物理学に近かったというべきでしょうか。数論や天文学と並んで、神の意志を体現する宇宙の摂理や法則を観測し探るための、いかめしい学問でした。
  表向きには、後代の人びとが求めるような「美しさ」とか快感を、音楽に求めたり感じたりしてはならなかったのです。

  そういうこともあって、音声の演奏といっても、ここまでは、人間の音声と言葉による心情表現や物語が中心で、器楽は添え物にすぎませんでした。
  というのは、中世ローマ教会神学や戒律の影響で、神が人間に直接与えたとされる肉体から発せられる音声に何よりも重要性が置かれていたからです。

  楽器は肉声に比べて音域が広く多様な奏法の可能性がありそうなので、教会や神学者たちは、楽器の音声に人間が「美」を感じて耽溺したり陶酔するのではないかという怖れを抱いていたようです。
  万事が質素に慎ましやかにというのが、生活全般の規律・規範だったのです。

  ところが、ルネサンス期には、古代グレコローマン時代(古代ギリシア・ローマ時代のことでアンティークとも呼ぶ)の、とりわけ古代ギリシアの演劇を復活・再構築しようという動きが目立つようになったようです。
  そこでは、登場人物の台詞は、詩の朗読ないし詠唱のような抑揚やメロディをともなうものになったといいます。

  そういう前史を経て、オペラの原型の出現は、16世紀後半から17世紀はじめののイタリアだということです。
  オペラとはもともとは、ラテン語(単数形は opus )で「人間の所作や動作、言動」を意味する言葉です。やがて、舞台上での動きや活動を意味するようになりました。

  こうして、音楽性をともなう形でオペラの台詞が始まったようです。
  リズムや抑揚、旋律に乗せやすくするためなのか、台詞そのものが、聴衆により深く印象を呼び起こすために、韻文がかった文章(詩)としてつくられていたのでしょうか。

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