私は「芸術としての映画」「教養娯楽としての映画の質」では、断然ヨーロッパがアメリカ合衆国よりも上だという偏見を持ち続けている。その割りに、ハリウッド映画を扱った記事の方が圧倒的に多いのは、この立場と矛盾しているのだが。
今回の「薔薇の名前(1986年作品)」については、イタリアを中心としたヨーロッパの歴史の奥行きの深さを案内するつもりで、取り上げる。ストレス発散になる単純明快な物語もそれはそれで面白いのだが、歴史や社会の仕組みの複雑さ、人の心理の奇妙さについて考え悩んでみるのも、映像物語を鑑賞する面白さのひとつではなかろうか。
グレゴリオ聖歌あるいは――これとは質的に決定的に異なるが――バッハのミサ曲を聞いてみてから、映画の内容を考えてみてほしい。
原題は、英語版では The Name of the Rose だが、本来の原題はドイツ語で Der Name der Rose で、いずれも「薔薇の名前」。
原作は、イタリアの哲学者にして歴史学者・文学者でもあるウンベルト・エーコの『薔薇の名前』 Umberto Eco, Il Nome della Rosa, 1983(イタリア語)。エーコは、認識論・記号論理学や中世美学史の専門家だが、この世の中のおよそあらゆる問題について評論や研究をものしている。
見どころ:
原作の著者、ウンベルト・エーコは映画制作をめぐるインタヴュウに答えて、「映画は原作とは別の独立した芸術作品だ」と述べている。自らの著作に着想の素材を得てつくられた映画は、おのずと原作とは別の問題提起やメッセイジ、表現をおこなってしかるべきだというのだ。
映画は、このイタリア人の碩学の著書にインスパイアされたフランス、ドイツ、イタリアの映画人たちが、すぐれてヨーロッパ的な手法で映像作品に仕上げた作品。ハリウッド映画とは質的に異なるすぐれてヨーロッパ的な映像構成と、歴史的な深み(奥行き)がある物語が展開する。
この作品は何を言おうとしているのか。映画制作陣が打ち立てた物語描写の視座は重層的にして複合的、多角的である。
今からおよそ680年ほど昔、北イタリアはピエモンテ地方の山中にある修道院に、遍歴の修道僧ウィリアムとその弟子が訪れた。おりしも、この修道院では、僧たちの不審死が相次いでいた。遍歴の僧は、修道院長から連続怪死事件の調査を依頼される。
ところが、アヴィニョンとローマとのちょうど中程にあるこの僧院は、教皇と皇帝、異端派などの勢力争いの焦点になっていた。事件は政治的な(権力闘争の)色合いを帯び始めた。
ウイリアムがこの修道院を訪れた背景には、アヴィニョン教皇派とフランチェスコ派との神学論争があった。ローマ教会の神学と教義をめぐる論争だったが、それは独特の政治的環境のなかで展開した権力闘争でもあった。
修道士の連続怪死事件をめぐって、「名探偵」ウィリアムは錯綜する人脈や人間関係、思惑が絡み合って渦巻く修道院で調査を進めることになった。
アヴィニョン教皇派とフランチェスコ派との対抗という情勢のなかで、この派修道院でも両派の神学論争がおこなわれることになった。だが、その論争は、相次ぐ修道僧の怪死事件をきっかけに異端審問、つまり反教会派と決めつけた者たちを弾圧・圧殺する政治運動に転換してしまった。
審問で断罪された僧2人と村娘の3人が火刑に処されることになった。ウィリアムは、3人の冤罪を晴らすべく捜査を続ける。だが他方で、横暴な審問官や修道院に憤慨した小作農民たちが反乱を起こそうとしていた。
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