だが、各個独立の主権を保有する政治体としての諸州を(大陸的規模の)国民国家に統合していく道は、平坦ではなかった。
ブリテン王国から政治的・軍事的には独立したものの、イングランドの商業資本と製造業への北アメリカの従属状態は長らく続いていた。
ブリテンは、北アメリカ植民地の統治と防衛のための財政的・軍事的負担が軽くなったために、むしろ貿易や金融をつうじて、また産業技術の格差を利用して、北アメリカをより巧妙に構造的に支配・収奪するようになっていった。アメリカの軍事的同盟国、フランスは貿易上、経済上のパートナーとしては、ほとんどあてにできなかった。
たしかに北部諸州では、独自の工業・貿易業・金融業が成長し、大陸の西部に向かって開拓を進め、フロンティアとして取り込んだ新たな地域をその市場として統合していった。
ところが南部諸州は、大規模な所領支配によるプランテイションによって主に綿花(付随的にタバコ、サトウキビ)などの原料農産物を生産していたが、経済構造としては、北部よりもブリテンの貿易業者や製造業が主要な顧客で、彼らに商業的にも金融的にも深く従属していた。
ブリテンに対抗し、みずから自立的な貿易と工業の中心として成長しようとしていた北部諸州ブロックは、自己のヘゲモニーのもとに中西部、西部、南部を統合し、ことに南部をブリテン資本の支配から離脱させようとしていた。
北部は連邦レジームを強化して、自らの法制度・政治制度・経済構造を南部にも浸透させ、強制しようとしていた。つまり北部は、より強い国家的統合を求め、諸州の権限を制約・調整しようとしていたのだ。これに対して南部諸州は、主権と自由貿易(従属的貿易)を維持しようとしていた。
かくして、北部の商業(貿易・金融)資本ならびに工業資本の利害と、南部の領主的経営者とその同盟者(貿易業者や金融業者)の利害は決定的に対立するようになっていった。
南部諸州は、アメリカ合州国――連邦=USA――から離脱しようとして、アメリカ諸州連盟( Confederated States )を結成し、連邦から離脱しようとした。合州国=ユニオンは、これを「連邦国家への反乱」として糾弾し、この運動の軍事的鎮圧・粉砕に乗り出した。
これが、南北戦争(市民戦争)の核心だった。奴隷制度をめぐる賛否は、単なる「政治的象徴」であって、付随的な問題だった。現に、合州国中央政府は、ユニオンにとどまる諸州には奴隷制度の持続か廃止かの選択の自由を認めていた。
この「内戦」では、はじめから優劣の大枠は決まっていた。
力関係どおりに、北部連合が勝利し、南部の反乱派・分離派を軍事的・政治的に封じ込めて、北部の利害の優越のもとに西部、中西部、南部(要するに合州国全域)の統合を進めることになった。
というわけで、合州国が連邦制の国民国家としての統合性、凝集性を組織化していくのは、とりわけ1870年代からのことだった。
ところで、この中央政府は、北部連合のどの州からも等距離(価値中立)の存在ではない。どんな国家もそうだが、中央政府が担い表明する利害は、その中心ないし頂点に、必ずある特定の地方や特殊な業界や集団の利害が位置づけられている。つまり、ある特殊な利害を中心にして多様な利害は上下に序列付けがなされている。
そこで、諸州や諸地方、それぞれの業界組織、利益団体、階級は、中央政府(大統領や高官)や連邦議会指導部とのコネクションとか利害情報の伝達経路を構築しようと競争し合うことになる。
それにしても、連邦を構成する州には一定の主権(行財政権、立法権、司法権)や自立性が認められれていたから、その分、国家としてまとめあげる中央政府はより強力な権限や権威が必要だった。
国家は、単一構造ないし一枚岩の単純な組織体ではない。中央政府との利害関係の共有度や優遇度をめぐって、各州、各地方、各集団などが競争し合っているとすれば、中央政府組織の各部門の相互間や内部でも、国家装置の内部での優位や影響力などをめぐって競争することになる。これらの利害競争や優越争いは、それぞれに絡みあうことになる。