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邦題は「副王家の一族」で、2007年製作作品。
原作は、 Federico de Roberto, I Viceré, 1984(フェデリーコ・デ・ロベルト著、『副王たち、副王の家門の人びと』、1984刊行)。イタリア語の「イ ヴィチェーレ」のイは定冠詞イル
il の複数形で、「~ということども」「~の家族/~の家門とそのメンバー」というような意味合いになる。ここでは「副王家門」とか「副王家の面々」「歴代の副王たち」という意味。
《山猫》が描いた時代とちょうど同じ時期、シチリア島の東部のカターニャの名門貴族、ウツェーダ家の父子の葛藤と相克の物語。
シチリアはローマ帝国からこの方、辺境=周縁としての地位を固定化されてきた。辺境=周縁というのは、文明や統治の中心部から地理空間的に僻遠の地にあるというだけでなく、域内社会にひどい断裂や分裂、著しい格差が執拗に存在し続け、まとまった王権や政権が成立する条件がない状態を意味する。文明や統治の中心部による収奪や搾取、域内での過酷な支配や抑圧も構造化された社会状態なのだ。
支配階級としての貴族たちも互いに分立割拠しながら、秩序維持のために相互の依存し合う歪んだ関係が持続してきた。こういう秩序のなかで有力貴族家門の面々の人格や個性はことさらに歪化し畸形化することもある。イタリアに統合されようとしているシチリアの秩序変動のなかで、いわば極限化された状況下で、有力貴族家門内での家族のねじれた関係と葛藤が描かれる。
だがここには「滅びの美学」も「透徹した歴史観」のかけらもない。ただ権力と富を保持するために目の前の状況に身をすりよせる「皮相な変わり身」のむなしさが描かれるだけだ。
かつてシチリアの総督=副王の地位にあった名門としてここに登場する老公爵は、富と権力に貪欲に執着する傲岸不遜、品性陋劣な男である。貴族という支配階級から名誉や品性を抜き去った人格として描かれる。嫡男のコンサールヴォには憎しみを植え付けるような酷い接し方をする。そのため、コンサールヴォは父親に対して侮蔑と憎悪の感情を抱いて育った。
ジャコモと思春期に達したコンサールヴォの確執は深まり、シチリアにいられなくなって結局、コンサールヴォはローマやミラーノ、そして海外での遊学に追いやられた。一方、妹テレーザは、幼なじみジョヴァンニーノへの恋を諦めさせられ、ラダーリ公爵家の跡継ぎ、ミケーレのもとに嫁ぐことになった。絶望したジョヴァンニーノは、ミケーレとテレーザの婚礼の場で拳銃自殺を遂げた。あれやこれや悲劇を見たコンサールヴォだが、遊学のなかで、有力貴族の権力のありがたみを実感したようだ。
コンサールヴォは父親と家門の財産や地位のおかげでブリテンや北イタリアの大学で教育を受け、父親とは対照的な知性を身につけ品位をわきまえた人物となった。ゆえに彼は、歴史の変動の行方を自分なりに読み取って、国民的統一の進む19世紀末のイタリアで自分の生きる方途を模索する機会を得た。
父ジャコモの死後、コンサールヴォは公爵位を相続し、その地位や財産を踏み台にして新たなレジームでの支配階級に転身する道を選び取り、イタリア王国の下院議員選挙で勝つために与党の「左派」から立候補した。
コンサールヴォもまた、社会の変化に対応してトラスフォルミスモ=「変わり身の巧みさ」を身につけていく。
だが、それは、イタリア社会の近代化の課題に対峙するわけでもなく、旧来からの特権階級がその地位と権力を保持するための転身でしかなかった。旧弊な貴族制=身分秩序は矮小化し、醜悪なほどに腐朽し悪臭をまきちらしながらも存続し、貴族の権力・富と身分はなおレジームの屋台骨として社会に寄生・君臨することになった。南部イタリアの悲劇が、ここでも描かれている。
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