第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第2節 地中海世界貿易とイタリア都市国家群
この節の目次
15世紀末には、ヴェネツィアでは金融業者が相次いで破産した。フランスやエスパーニャの王権がイタリアに介入したため規模を拡大して断続する戦争で財政歳出は膨張し、16世紀初頭には100万ドゥッカートに達していた。財政費用をまかなうために、ヴェネツィア政府は直接税(とくに資産税)を加重した。商品流通からの税収は減少した。これは、内陸領土が増え、土地資産が増大し、貿易が収縮し始めたことに対応している。
1524年には金融業のリスクが高まっていたから、コムーネは銀行監督官を設置して金融業の統制に乗り出した。13世紀以来、ヴェネツィアに貴金属を供給してきた中欧と南ドイツの銀山が、16世紀半ばには衰退したことも金融事情に影響していた〔cf. Mcneill〕。
1571年には、ヴェネツィア政府財政は、本領から70万ドゥッカート、内陸属領から80万ドゥッカート、海外領土から50万ドゥッカートの歳入があった〔cf.
C. Bec〕。海外領土の統治はリスクとコストが上昇していて、収入は支出にそっくり消えた。
海外での権益を失いつつある政府と商人貴族は、投資をしだいに航海事業から引き上げ、内陸地への投資に切り替えていった。15世紀の終わりには、土地改良や潅漑設備、耕地開拓を請負う会社が組織された。そして16世紀はじめから半ばまでに、開墾や潅漑施設の建設が進められ、河川流量の管理機関や土地の権利関係を調停する機関が設けられた〔cf. Mcneill〕。
こうして土地と農業への投資のためのインフラストラクチャー(投資環境)が整備されると、貴族たちは内陸部に所領を広げ広壮な邸宅や別荘を建てるようになった。
この変化には、16世紀半ばには、トゥルコ帝国のスルタンは黒海方面からの穀物調達を許可しなくなったから、内陸での食糧生産が戦略的に決定的に重要になっていたという背景もあった。
ところで、地中海ヨーロッパでは、16世紀をつうじて農業危機が進行したうえに、そして黒海方面――ワラキアやモルダヴィア方面――からの食糧調達経路も途絶えていた。そこで、海運による食糧調達では、16世紀末以降、ネーデルラント、次いでイングランドが、かさばる貨物を安価に運搬する新型船舶を使うバルト海海運をつうじて、オストエルベやダンツィヒから穀物を西ヨーロッパや地中海に輸送するようになっていく。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章 ― 1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章 ― 2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
補章 ― 3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成