第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第6節 ドイツの政治的分裂と諸都市
この節の目次
13~14世紀には、都市の支配層による統治秩序の形成が進んだ。その法的基盤は都市の自治であり、統治機関は市参事会 Stadtrat だった。参事会の権能は、市場の紛争を裁くという当初の権利から、やがて空間的には全都市領域へ拡張し、かつて都市領主やその家政機関が担っていた統治機能の全部またはその大部分へと拡大していった。つまり、都市は――北イタリアの都市国家ほどではないが――自立的な政治体または自立的な政治的=軍事的単位となったのだ。
そのとき、都市の参事会はまったく新しい統治組織をつくりあげたのだ。この統治組織のなかでは参事会が中央政府の機能をもち、個々の行財政領域についてはそれぞれ専門の役所=機関が発達した。これらの役所の総体としての統制・統合は、各役所の長が参事会の部門別会合に列席することではかられた。
たとえば、1450年のフランクフルト・アム・マインの市参事会では、全体で18の専門委員会があった。委員の顔ぶれは参事会そのものの権力状況を反映して、参審人たち Schöffen と門閥貴族層とツンフトの代表からなっていたという〔cf. Rörig〕。
都市の参審人法廷 Schöffengericht は本来、13世紀頃から領邦君侯ないし有力君侯が都市統治のために設置した法廷で、参審人は都市の有力商人と名望家から補任していたが、それゆえ、ほどなく君侯権力の統制から自立し都市門閥層の意のままになる統治機関となった。また、純然たる門閥支配が行なわれた都市では、門閥家系の参事会員が法廷や行政機関の各部門の長となっていた。
いずれにしろ、参事会そのものも個々の委員会も有給の下級官吏を指揮していた。有給役人の最上位は市書記官たちで、市政庁事務局を長として統括し、参事会議事録と裁判記録を作成し、外交上は都市使節を担当した。書記官職に採用されたのは、大学などで専門教育を受けた者たちで、富裕商人家系の出身者が多かった。
その下の官吏たちは、市長が統率する中央行政装置のメンバーだったが、やがて行財政組織の肥大化とともに、個々の委員会もそれぞれ独自の書記や事務局をつくり、専門の下層官吏を組織するようになった。参事会員自身は――すでに富裕な有力者であった――無給の名誉職だったが、市の財政から謝礼や旅費、現物給与などの特典が与えられた〔cf. Rörig〕。
市の行財政装置の運営は、商人自身が本業の経営のなかで獲得した文書による会計管理技術と貨幣経済とを基盤としていた。市政庁は、政庁自体の統治活動について、文書記録による取引きの管理や貨幣額による価格計算と資産管理にもとづいて財政収支を把握した。そのさいまた市域内の商業活動や商人資産を評価して、課税基盤として把握し、公的信用制度を確立した。これによって都市は財政資金を調達する仕組みを整備・確立したので、周囲の君侯・領主層に対して財政面で――ということは、当然のことながら軍事的・政治的にも――圧倒的優位を手に入れることができた〔cf. Rörig〕。
そもそも商業会計の手法によって都市の統治機関の運営・運動を財政的側面から把握し、管理するという仕組みの成立それ自体が、歴史の画期となるほどの変革だったのだ。
すでに有力諸都市が直接税の徴収権を都市領主または皇帝から獲得したときに、財政面での都市の自治は始まっていた。皇帝(帝国)や領主(領邦)には、毎年、取決めにもとづいて都市団体から一定の金額が一括して支払われた。税の上納さえすれば、そのほか――課税方法、税率、徴税方式など――については都市団体が自由に税制を決定し運営することができた。
財政の収入源としては、財産や所得にもとづく直接税が発達し、それを間接税が補完していた。だがやがて、間接税が財政収入の大部分を占めるようになった。税収はすべて市の台帳に記録された。重い資産課税は、とりわけ富裕層の市からの流出(移住)を招くので、財産への課税率は通常1%くらいで、特別な場合に2%前後になったと見られる。間接税つまり商品取引きにかかる税や消費税は都市財政において重要な役割を果たした。ことに消費税が歳入に占める比率は、14世紀以降、たえず上昇し、直接税を大きく上回るようになっていった。
ケルンでは1370年の消費税は歳入の95.7%に達し、まもなく直接税の完全廃止に踏み切ったという〔cf. Rörig〕。家計支出における消費税の負担割合は、当然のことながら所得の少ない階層ほど、つまり下層民衆ほど大きかった。しかも、高額所得者である商人層には、たとえば卸売商が扱う販売用の商品の販売には課税されないというように、特別の取り決めがあって、遠距離商人たちにきわめて有利なはからいがなされた。
都市は所得や法的権限の配分において階級格差がきわめて大きな社会で、とくに下級民衆はつねに貧困や失業などの憤懣や恐怖を抱えていたから、不況や食糧価格の高騰などのたびに破壊や騒擾、暴動が起きた。それは、財産的損害を生むだけでなく、近隣の君侯領主の市域内への政治的介入を招くおそれがあった。ゆえに、都市政庁は食糧の調達について特別の政策――財政の手当てや調達先の確保――を立てるようになった。
都市政庁は経常収入が出費に足りなければ、借入れをおこななった。参事会の決定を受けて市の会計官が定期的に一定金額の利払いを約束した融資(定期償還払い付きの公債)を募集し、これに対して貨幣資本の所有者、つまり富裕商人層はそれに投資した。1394年から1405年のあいだにリューベックの参事会は、財政収入のうち定期金利付き市債の負担額を7万リューベックマルクまで積み増したという〔cf. Rörig〕。それだけ、投資先を求める貨幣資本が市内に蓄積していたのだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成