渚にて 目次
核戦争による人類の滅亡
孤独な原潜
最後に生き残った人びと
サンディエーゴからの信号
サンディエーゴ
海辺で原潜を見送る
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評  決

サンディエーゴ

  そして、サンディエーゴの港湾に寄港して、防護服をまとった兵員を市街の電波の発信源まで派遣して、なぜ電信が送り続けられているのか調査させた。
  発信源は、巨大な機械工場プラントの事務所のなかだった。
  窓際に置かれた電信機が風になびくカーテンに当たって、ツー・トン・ツー・ト・・・と信号を発信しているのだった。じつに皮肉な事態だった。
  とはいえ、生きた人間がいるとは誰も信じてはいなかったのだが。それでも、派遣隊の兵員の心の底には奇跡への望みがあった。それも完全に打ち砕かれてしまった。

  人類は滅び去ってしまった。モールし信号発信の理由、つまり答えは扇風機が送る風のなかに漂い舞っている。このシーンを見て、私は、先頃ノーベル文学賞を受けたボブ・ディランの『風に吹かれて: Blowin' in the Wind 』を想い起した。
  それにしても、扇風機を回すほどの電力がまだ残されているのだ、と妙な感慨を抱いた。論理的にはありえないように思うのだが、それくらい突然に人類は核汚染のために滅びたのだという切迫したカタストロフを描くための演出なのだろう。印象に残るシーンだ。

海辺で原潜を見送る

  原潜は絶望的な調査結果をたずさえてメルボーンまで帰港した。
  艦長のドゥワイト・タウワーは、メルボーンで、出港前に知り合った女性、メアリーと再会した。タウワーは家族をアメリカ本土に残して長期の原潜作戦についていたが、家族は全員が死に絶えていた。愛する妻も子どもも失っていた。だが、メアリーと出会ったことでいく分傷心が癒された。

  だが、オーストラリアの人びとには滅亡が迫っていた。
  高濃度の放射線はすでにブリスベインに達していた。当局は、苦痛なしに眠るように死ぬことができる薬剤を配給し始めていた。初期の放射能症の軽い自覚症状が出ると、人びとは安楽死用の薬剤を服用して、穏やかに眠るように死んでいった。それが、いまや人類に残された「唯一の癒し」だった。
  メルボーンの当局も安楽死用薬剤を配給し始めた。体力や免疫の弱い人びとには、すでに自覚症状が出始めていた。町の人びとは身体の異能麻痺や苦痛が明白に出始める前に薬を服用し、1人また1人と死を迎えていった。

  さて、アメリカ海軍の原潜では、今後の方針について乗組員全員の投票がおこなわれ、――ここに残る自由も認められたうえで――希望者が乗り込んで北アメリカまで航海するという方針が決定された。タウワー艦長も帰国への航海を選んだ。
  やがて原潜は港を出て外洋に向かった。
  海原に消え去ろうとする潜水艦の司令塔セイルを、海岸に立ったメアリーは見送ることになった。

  メアリーが見送った原潜は、まさに人類の滅亡を招いた核戦争テクノロジーの生産物であって、その意味では、最後に生き残った人類のひとりが、核テクノロジーに依存して世界秩序を維持してきた現代人類文明に別れを告げるということでもあった。

  ところで、最後に余計なひと言。
  原潜がモールス信号の発信地、サンディエーゴに調査に赴いたのだが、このサンディエーゴ Sandiego とは本来、サンティアーゴ(聖ヤ―コブ)が聞き違いあるいは勘違いで訛った表記=表音だという。サンディエーゴという語を調べていくと、もともとは違うもので良い誤りないしは聞き誤り、書き誤りという事態にたどり着く。つまり、本来の存在とは違うものということだ。
  この物語でも合衆国最大の海軍基地がある港湾都市サンディエーゴは、オーストリアの人びとに「ひょっとしたら北米で生き残った人類がいるかも」という誤った誤解・希望を与えた。この名の都市をここで設定したのは、もしかしたらそういう語源的な文脈があってのことではなかろうか。

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