サンジャックへの道 目次
原題について
見どころ
予備知識として
聖ヤ―コブ伝説
奇蹟の伝説と巡礼風習
あらすじ
不仲の3人兄妹弟
出発地のルピュイ
道連れの面々
何も持たないクロード
現代フランス人の旅
「やれやれ」な旅立ち
余計な重荷は捨てるしかない
「余計なもの」を捨てる旅
人生は重荷を背負った上り坂
クロード
ラムジ
カミユ
マティルド
ギュイ
人生の出会いと交錯
「原則」とリアリズム
道連れ、そして仲間意識
ラムジの境遇
課題を見つけたクララ
ラムジの学習
「薬漬けの日々」からの脱出
聖職者たち
聖職者も人間・・・
誠実な神父もいる
強欲で罰当たりな司祭
聖地まで歩き続けるぞ!
虚栄で流行を追う者
寄せ集め国家の不協和音
仲間は兄弟、助け合うもの!
聖地巡礼で得たもの
クロードの酒気を抜け
巡礼旅の終わりに
エピローグ

予備知識として

  《サンジャック》とは、キリスト教ローマ教会の聖人ヤーコブのことです。
  それが地名を表す場合には、世界的に有名なエスパーニャの北西端ガリーシア州にある巡礼の聖地、《サンティアーゴ・デ・コンポステーラ: Santiago de Compostela 》を意味します。
  エスパーニャ語で《サンティアーゴ》とは、聖ヤーコブ( Jakob )のことで、ここでは聖地となっているヤ―コブの墳墓で――今はサンティアーゴ大聖堂・修道院――を意味します。
  英語では《セイント・ジェイムズ: Saint James 》となります。蛇足ながら、イングランド市民革命ののちステュアート王朝の復権を求める党派をジャコバイト Jacobite と呼びますが、ジェイムズ(ジェイコブ)の復権・復位を求める集団という意味で用いるのです。
⇒物語に登場する場所(舞台)を地図で見る

  聖ヤーコブとは言うまでもなく、キリストの使徒である聖人、ヤーコブのことです。
  で、コンポステーラとはエスパーニャ語で「地の果て」あるいは巡礼の「完了地」とか「最後の到達点」を意味するということです。つまり「地の果てサンティアーゴ」というわけです。
  ということで、エスパーニャ北西端のガリーシア地方、大西洋間近のこの地は、最果ての巡礼の終末地、サンティアーゴという不思議な地名なのです。
  ところで、エスパーニャ語のコンポステーラをラテン語の compo stella からの転生語として解釈して「星の広場」「星の草原」と訳す場合があります。しかし、エスパーニャ語よりよりラテン語に近いフランス語のサンティアーゴ・デ・コンポステーラの表記が Saint Jacque Compostelle (サンジャック・コンポストゥル)であることからすると、やはり「最終の地サンティアーゴ」と理解する方が正しいと考えています。

■聖ヤ―コブ伝説■

  そこに聖ヤーコブの墓があり遺骨が眠っているという、ヨーロッパのローマ教会信者のあいだで1200年間も深く信じられている伝説があります。
  信頼できる歴史研究によれば、聖ヤーコブは伝道活動中にパレスティナの地で歿したはずです。
  ところが伝説によれば、今を去る1200年の昔、9世紀の前半にイベリア半島北西端、ガリーシア地方の大西洋岸近くで、聖ヤーコブの遺骨を祀る墳墓が発見されたというのです。
  ヤ―コブは、パレスティナへは帰還せず、ヒスパニアでの伝道活動中にガリーシアの辺境で没したというわけです。

  その頃、イベリア半島の圧倒的な部分は、北アフリカからやってきたイスラム教徒の勢力――西カリフ王朝が君臨――によって支配されていました。⇒イベリアのイスラムによる支配に関する歴史
  当時、世界の最先端の知識・文化を誇っているイスラム勢力から見れば、キリスト教徒のヨーロッパ人は未開の辺境の野蛮人でした。
  彼らはイスラムの領主や王権に追われて、半島の北端沿岸地方、あるいはピリネオス(ピレネー山脈)地方に追いやられていました。
  そして、追い詰められたイベリアのキリスト教徒の領主たちは、西フランク(フランス)王権に臣従し、自らをフランス王国の一員と観念していたようです。フランス西部諸地方(ビスケー湾沿岸)と強く、だが緩やかに結びついていました。

  なにしろ、神の権威や聖人の秘蹟が強く信じられていた時代。
  領主や聖職者などの権力者たちは、追い詰められた辺境で、神の庇護や聖人の遺徳による守護を強く求めていました。そんなときに、コンポステーラの地で古い墳墓の跡(700年近く前のもの)が見つかったのです。
  あるいは古い先住民、ケルト人の墓地の跡かもしれません。
  が、人びと、ことに近隣の領主や司教たちは、その墓を聖ヤーコブの墓と信じ、遺骨の欠片を聖人の遺骨だと信じました(祈るように)。

  あるいは、イスラムに対する再征服運動レコンキスタのための「錦の御旗」がほしかったのかもしれません。ところで、日本ではレコンキスタに「国土回復運動」という邦訳をあてる場合が多いのですが、誤りです。当時のヨーロッパには「国土」とか「国」と呼べるほどの制度はなかったのです。
  往古、イベリア半島の地中海側にローマ帝国辺境領ヒスパニアがありましたが、政治組織としては国家ではありませんし、その後、ゴート人の部族侯国(小侯国)とその連合がありましたが、国民とか国土という制度も観念もありませんでした。

■奇蹟の伝説と巡礼風習■

  何しろヨーロッパの中世のこと。奇蹟の噂は噂を呼び、ヨーロッパ西部に広く広がっていきました。
  ローマ教会はその地に立派な聖堂を建立し、イェルサレム、ローマと並ぶ第3の巡礼の聖地に仕立て上げていったのです。
  こうして、通信や交通が未発達というにもおよばないほど不便な時代に、サンティアーゴの聖人の墓に詣でる巡礼の旅がブームになりました。
  殺人を厭わない野党や強盗が出没し、高い通行税をふっかけかねない強欲な領主もいる難路なのに。
  遠くはフランス東部、ドイツ地方(さらに東欧)からも巡礼や修行の遍歴を重ねる民衆や聖職者の列があとを断たなかったといいます。ことにフランス西部からの巡礼者が著しかったようです。

  ピレネー山脈からサンティアーゴまで1000キロメートル近くの道のりがあります。ブルターニュからだと2000キロメートルを超えます。険しい山脈や高地、深い谷を超えて進む悪路が続きます。それでも人びとは巡礼の旅に出るのです。
  巡礼の風習は18世紀以降は衰えてしまいましたが、20世紀半ば以降になって復活し、活性化したといいます。しかも、若いバックパッカーが大半だということです。2020年現在、サンティアーゴ巡礼者の数は30万余りだそうです。

  中世12〜13世紀には巡礼者は20万〜30万近くまで達したのだとか。その頃のヨーロッパの人口はせいぜい4000万ですから、人口比でいえば、現在なら300万人という膨大な規模です。

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