映画物語における出来事 目次
リアリティと「つじつま」
プロットの Coincidency
問題の設定
フィクションの「因果律」
事例研究
ダイハード
エネミー・オブ・アメリカ
筋立ての好みは人それぞれ
筋立てについての見方
転んでもタダでは起きるな
事例研究 作品の狙い
「シューター」のテーマ
作品の外部的事情
物語の切実感の要因
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暗殺の現象学
陰謀の解剖学

物語プロットの Coincidency

  ここではまず物語・プロットにおける「コインシデンシー conincidency 」というものについて考えてみます。
   Coincidency という語のもとになっている coincide とは、「物事や出来事が同時に生じる」、「偶発的にいくつかの事件が符合する、結びつく」ということを意味します。また、一般にその名詞形は coincidence です。そして、ここでのテーマのの「コインシデンシー」とは、物事や出来事が偶発的に共時化したり、符号したり、結びついたりする傾向性を意味します。
  あるいは、偶発的な出来事という意味の語 incidence に、「共同する」とか「同時的」とか「関連する」「並存する」という意味合いの接頭辞である co がついたものと考え、いくつかの出来事が同時に起きたり、結びついたりすること、と考えればいいでしょう。

  いきなりこんな言葉を持ち出したのは、映画の物語はいくつもの出来事の偶発的な結びつきや同時発生シンクロニシティ――つまりコインシデンシー ――によって織りなされ、編み出されているからです。それが観客に映像の切実感を感じさせ、感情移入させる方法となっているのです。

  ところで、このサイトの記事はどれも「映画評論」「映画批評」ではありません。むしろ「映画への礼賛」です。礼賛しながら楽しみ方を追求する記事の集合です。このサイトで取り上げた作品については、100%、いや200%おススメという評価になっています。とにかく観てほしいというメッセイジです。
  そして、映画をもっと楽しみ、描かれた素材や状況をとにかく自分の好きなように突つき回して分析し味わおう、ということです。
  私は、映画を評価・評論はしません。ひたすら「乾杯!」するだけです――もっとも、私は酒をほとんど飲めいないのですが、心のなかで乾杯しているのです。

  さてここでは、物語のなかで、主人公が事件に偶然に遭遇するというように、いくつかの人物や出来事が偶発的に結びつく筋立てのリアリティや「つじつま」について考えてみます。
  たとえば、2017年3月前半から半ばにかけて、現実の世界の日本では「森友学園」問題がかまびすしく話題となっています。出来の悪い茶番劇で、「極右翼の国士」を気取った詐欺師が、思想教育を餌にしながら金儲けを企み、大阪府にある国有地を評価額よりも大幅に値引きした価格で入手して小学校を開設することを画策するというストーリーです。
  この喜劇が世の話題を攫ってしまったため、東京都の「豊洲移転問題」という別のスキャンダルがすっか霞んでしまったくらいです。

  この森友スキャンダルには数多くの謎・疑惑が絡みついています。
■  ゴミ・廃棄物が埋まっていたとはいえ、なぜ9億円以上の国有資産の土地価格の90%もの値引きがおこなわれたのか。財務省にバイアスを加える権力者がいたらしいこと。
■  小学校設立認可の申請書類に数多くの虚偽やごまかしがあったにもかかわらず、なぜ「条件付き認可」という扱いになったのか。誰か「有力者」が大阪府の教育委員会に圧力を加えたらしいこと。
■  安倍首相夫妻を手玉に取って学校運営に関係があるかのような演出を誰が企画・プロデュースしたのか。たぶん「右翼のフィクサー」(政治屋または商売人)がいたらしいこと。
■  安倍首相の続投も決まった「政権の絶頂期」に事件がはじけたこと。

  なにやら安っぽい陰謀映画のプロットのようではありませんか。
  私の個人的な感覚を言うと、テレヴィの報道で最初に渦中の人物、籠池氏が映ったとき、「あっ、これは詐欺師の顔だ」「嘘を嘘とも思わないで語る人の顔だ」と思いました。あの手の表情・顔つきの人と、経営コンサルティングがらみで出会って、ひどい目にあった経験が私にそういう印象を持たせているのです。私の印象は間違っていませんでした。
  まさに役柄にぴったりのキャスティングです。
  「愛国主義」思想を掲げて事業を企てる人物は、ほぼ例外なく詐欺師か「食わせ物」です。これも私の経験的な印象ですが。

  これは実在の事件ですが、物語のコインシデンシーについて言うと、「極右思想」、籠池という人物、大阪府の国有地売却、廃棄物埋設、学校開設申請、安倍政権などという要素が「一つの束」のように絡まっているこの状況が、まさにこの物語のコインシデンシー(偶然の妙)なのです。
  これらの絶妙な絡み具合――そしてバカらしさ、愚かしさ――は、残念ながらフィクションでは演出できないものです。まさに「事実は小説フィクションも奇なり」です。

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