さて、スーザンは医学の世界でのキャリアウーマンをめざす有能な医学博士。
目的は明確、自己主張がはっきりしている。専門家としての女性の自立を追求している「求道者」でもある。そして、おなじボストン記念病院で主任研修医をしているマーク・ベロウズと同棲している。
スーザンは、病院内での政治――人事や派閥の力関係とか駆け引き――よりも、まず外科医としての知見と技術の研鑽を積むことを最優先している。ところが、マークは、すでに専門知識や技術をかなり身につけたという自覚があるせいか、その能力を活用できる「ポストの獲得」に優越性を与えている。
出世主義者である。ただし、世渡り巧みに労苦はできるだけ少なくしたいがゆえに、院内政治の波の乗りたいという日和見派ともいえる。
人生観、処生観がまるきり反対なのだ。
スーザンはマークに惹かれながらも、病院内では有力派閥とか権威ある有名医師の「覚えめでたく」しようとする軽薄なヤツだと、ちょっぴり軽蔑したくなってもいる。
だから、性愛では強く結びつきながらも、しょっちゅう意見が衝突し個性を互いに激しくぶつけ合うことになる。
今日も、病院から帰宅すると、夕食の支度や会話の話題で、角を突き合わせたところだ。
マークは、今日病院であったたことや院内の噂話、人事をめぐる政治などについてチャットしたいのだが、スーザンは自分の専門分野のレポート作成とか予備学習で頭がいっぱいで、取り合わない。今夜は忙しいから、夕食はマークがつくれ、と突き放した。
メリトクラシーの階段を駆け上ろうとするカップルが陥りがちな状況だ。
女性たちには社会的ハンディディキャップが大きいので、男性よりも女性の方が努力を積むことになるがゆえに、女性の専門家の方が優秀で信頼性が高くなるという傾向を、原作者は的確に見抜き巧みな人物設定にしている。
翌日のボストン病院でのこと。
スーザンは実地研修の一環として、早朝からの手術に助手として加わっていた。手術が無事終わって、手術室から出たところに、マーク・ベロウズがやって来た。彼は昨夜の口喧嘩で言い過ぎたことを詫びた。スーザンも誤った。マークは仲直りにということで、昼食に誘った。が、スーザンは断った。近くのエアロビクス教室でのエクササイズに行くためだ。
スーザンは何しろ一徹で、自分の1日のスケデュールを完全に決めて動いている。強い緊張を強いられる病院の仕事の合間には、リラクゼイションのためエアロビクスに通っているのだ。
やれやれ、とマークはため息。
エアロビクス教室に行くと、知り合いの若い女性、ナンシー・グリンリー(既婚者)と出合った。その日の午後、妊娠中絶手術を受ける予定だった。まだ妊娠後、数週間で、子宮に着床した受精卵=胚を切除するだけの軽微な手術だという。