この映画で描かれた「臓器売買」の世界市場は、実際に存在する。貧困層や失業者数が多い途上国には、どこにでもある。フィリピンやコロンビア、メキシコ、ナイジェリア、カンボディア…。アメリカ合州国にもある。
臓器は高く売れるからだ。それしか家族の生き延びるための収入がない、という立場になれば、自分の臓器、たとえば片方の腎臓、肝臓の一部分、脊髄液などを売るしかない。売れば、貧困な彼らの年収の何倍にもなる。しかし、それは、人権保護上、きわめてゆゆしき問題だから、どこの政府も歓迎しないし、多くの場合に違法となっている。
というわけで、臓器摘出手術をおこなう医師や医療機関は、ブラックゾーンないしグレイゾーン、つまりアンダーグラウンドでことをおこなう。だから安全性や衛生の管理はきわめてずさんだ。ゆえに、摘出手術でも、かなりの死者や障害者が発生する。
臓器の買主は、先進諸国の費用支払いが可能な患者やその家族、支援団体などだ。
日本でも、国内では生体から摘出された臓器の移植を法が規制しているため、あるいは適合ドナーが現れないため、フィリピンに行って手術を受ける人たちもいる。ただし、その手術の安全性や衛生管理が、日本国内ほどしっかりしていないから、相当な注意が必要だという。単なる金儲けの手段として運営している団体もあるのだ。
それでも、「ドナー」が生きるための金を得るためとはいえ、自分の意思で臓器を提供する場合はまだましだ。「闇市場」のなかには、犯罪組織が、とりわけ貧しく無防備な少年少女や幼児を誘拐して無理やり臓器を摘出してしまう事態もかなりある。
誘拐されて何とかかえされた子供の腹部や背中に縫合のあとがあって、調べたら腎臓などが摘出されていた、という悲劇も起きている。
フィリピンでは先頃、政府が臓器提供市場を非合法化する法案を通した。それが、社会福祉や弱者救済政策とセットになっていればいいのだが、そうではない。だから、ますます闇市場化して、安全性や衛生状態が劣悪化するのではないか。
映画も原作も、1970年代後半の社会事情を反映している。アメリカでは医療技術の高度化や設備の大型化、そして生活習慣病――ファーストフードやコーラなどが氾濫するアメリカでは中下層市民の食生活がムチャクチャだから――の増大、つまりは個人と社会の医療費負担の膨張が、その頃から明白だった。
医療保険制度の深刻な問題もあった。民営全能の医療保険制度は、レイガン政権以降、さらにひどくなったのだが。
そして、中南米やフィリピンでの「臓器売買」も目立つ状況だった。アメリカでも「闇市場」が指摘されていた。
社会派の医療スリラー作家、ロビン・クックは、そして、脚本家のッマイケル・クライトンも、かなりショッキングな問題提起をして、人びとに議論や対策検討を求めたのではないか。しかし、その後40年間、アメリカでは医療保険制度問題は放置されていた。
そして、新自由主義が横行した日本でも、中曽根政権以来、現在まで、医療保険制度の問題はスポイルされたままになっている。政権党は、問題の核心を避けて、政府財政危機――財政再建――を理由にむしろ問題を深刻化させる政策をとり続けている。