「家族の絆を考える」というテーマで観る映画作品の2つめの作品は『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』(2005年)。
今回は、自分が親から受け継いだ才能に家族の絆を見出し、見失っていた人生の目標=夢をふたたび探り始める物語だ。あらすじはこうだ。
父親から天才的な数学の才能を受け継いだ若い娘キャサリンが、精神病を患う父ロバートの病状・苦境を見かねて、数学研究という自分の夢を諦めて看病・介護に献身する。だが、やがて父親は死去する。彼女は、見失っていた自分の人生の目標=夢を取り戻そうと苦悩する。
キャサリンは介護のために父親の傍らにいるうちに、素数論の難解な問題の証明の方法を思いついて覚書をつくった。だが、その覚書が彼女自身の手による成果であることを証明するために、証明を完成させ論文として発表しなければならなくなった。それは、自分のアイデンティティを確認し、父のために一度は離れた数学者としての人生の再設計するためだった。
だが、彼女は孤独で過酷な数学者としての研究生活から離れて「普通の若い女性」の人生を送る方が楽だとも考え、悩んだ。
そのとき偶然、彼女の才能を評価できる若者ハロルドが現れた。
キャサリンはハロルドの協力と援助を得て、自らの数学者としての資質を試すために論文を書き進めようと奮闘することにした。それは、父から受け継いだ才能を活用して人生を再設計する試みだった。
『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』の原題は Proof で、意味は「数学での証明」「論証」。ここでは、数学の命題の証明・論証という意味のほかに、自己の存在証明とかアイデンティティの証明という意味を込めているのかもしれない。
映画の下敷き(原作)となったのは、2000年にニュウヨークのオフ・ブロードウェイで上演され、大好評を得た同名の舞台劇『プルーフ』(デイヴィッド・オーバーンの脚本)。この作品は、2001年にピュリツァー賞とトニー賞(最優秀演劇賞)を獲得した。
この作品は、いろいろな角度から考察できるが、ここでは、家族の絆という観点から映像物語を追跡する。
人はときとして、家族の愛情や絆あるいは義務感から、家族の生活のために自分の人生設計を組み換えなければならないことがある。もちろん、自ら選んだ道だから、そのために苦悩するのも、選択の結果である。自己の選択にともなう結果について自己責任を負わなければならない、ということになる。
とはいうものの、封じ込めたり諦めたりしたはずの目標や夢への断ち難い想いが、ときに心のなかで強い疼きとなることもある。
この作品では、20代の若い女性キャサリンが、精神を患い老衰が進んだ父親の介護・看病のために、数学研究という自分の夢を一度は諦める。その諦めは、父親のためでもあったが、彼女が目の前の苦悩――研究の厳しさや孤立感――から逃れる方便でもあったかもしれない。
父親から天才的な才能を受け継いだがために、大学や一般の数学者の理解のおよばない次元に進もうとする自分の生き方が周囲から理解されないことから生じた苦しみから逃れるためでもあったようだ。ほかの数学者では太刀打ちできない課題に挑もうとする孤独や苦難に耐える自信がなかったからだった。
ところが、そのキャサリンは父親の傍らで過ごすうちに、父親が挑んで果たせなかった数学界の難問を解き証明を完成させる方法を発見し、論証の概要と骨格を書き記していた。というのも、彼女のその直観やセンスこそ、父親から受け継いだ天才だったからで、家族の絆や血の繋がりを確かめ、介護に追われる生活のなかでひとしきり自分のアイデンティティを確認する――自分らしさを回復する――行為だったのだ。
父親が挑んだが厚い壁に跳ね返されてしまった素数理論の難問。その証明プルーフに立ち向かうことが、家族の絆を確かめ、ひとたびは投げ捨てたはずの自分の目標を回復するための挑戦だったのかもしれない。
しかし、やがて父親が死去すると、キャサリンは何をすべきかわからなくて混乱してしまった。
ところがキャサリンのもとに偶然訪れることになった大学助手の青年ハロルドが、彼女の才能を発見・発掘し、彼女に数学者としての再出発を勧める。そして、彼女の人生の目標を取り戻す物語の狂言回し役となる。
ハロルドの役割と存在感――自分よりもすぐれたキャサリンの才能を認め、その才能の開花のために支援を惜しまない姿――が何とも好ましい。