ところで、キャサリンが大学院での数学研究を諦めて、精神病の父親の世話にかかりきりになる生活を選択した背景には、自分の学問上の課題や人生の選択についての悩みがあったようだ。
悩みというのは、ノースウェスタン大学で彼女が携わっていた分野は解析学と関数論だったのだが、彼女が立てる方法論はきわめて独創的で、指導教授には理解されないということだった。
彼女は父親から数学の飛び抜けた才能・直感力、推論能力などを受け継いでいた。それゆえ、彼女の指導教授も含めて、普通の数学の秀才には、彼女の卓抜な直観や洞察が理解できなかった。そうなると、教授たちは、自分たちが理解できるような通常の――あるいは凡庸ともいえる――方法や手順での研究をキャサリンに求めるということになる。
それが、キャサリンには物足りなかったのだ。というか、自分の研究を指導ないし助言できる指導教授はいないので、彼らの水準に自分の研究の水準を下げるしかなく、それはありきたりで魅力のない作業でしかなかった。
しかし、だからといって、彼女の独創的な方法で論文を書き上げても、それを評価できる教授たちが周囲にはいないので、学術業績としては、およそまともな評価が得られないという結果に終わりそうだ。並み以下の成績評価になってしまうだろう。
かといって、教授たちがお薦めのありきたりの方法では、彼女の頭脳は受け付けないのだ。つまり、見えているものが並みの秀才教授とは違うのだ。
というわけで、彼女は数学を続けるとしても別の分野の研究にいくしかないとも思い悩んでいた。
ところが、キャサリンは内省的・内向的で、自分の思考スタイルや課題意識を他人に説得的にプレゼンテイションするのは苦手だった。やはり、学問の世界でも、自分のセンスの良さや才能を巧みに売り込むマーケティングの才が必要なのだ。
競争の厳しいアカデミズムで勝ち残るためには、むしろ弁舌巧みなセルフマーケティング=売り込みの方が正味の研究能力や業績よりも重要ともいえる。
とかく悩んでいるところに、50代を迎えた父親ロバートの精神疾患の症状が一段と悪化し、大学での研究や指導からほぼ完全に身を引かなければならなるという事態が生じた。父に関しては、自宅でケアの専門家を雇って療養するか、専門施設に入院・入所するしかないということになった。
キャサリンは、進路がふさがっているような悩みに満ちた自分の研究者の道をいったん諦めて、ロバートの介護・看護に専念しようと決心した。見ず知らずの他人の手に父親の面倒見を委ねるわけにはいかないと考えてのことだ。というのも、自分とよく似た父親の気質から見て、家族がいつも傍らにいなければ、錯乱や混濁がさらにひどくなると心配していたからだ。
頭抜けた才能を持つ父は、数学以外の世界、つまり世間一般では風変わりな奇人でしかなく、その性格や行動を一般人が理解できないことも多いのだ。尊敬する数学者でもある父が周囲から奇異の目で見られて、介護にさいしてもコミュニケイション・ギャップによって粗略な扱いをされてしまうかもしれない。
だが一方、大卒後、金融業に就職して着実にキャリアアップしている姉クレアは、若いキャサリンが、精神に異常をきたし老境を迎えた父親の世話をすることに献身することには反対していた。自分の道を切り開くために、時間を使うべきだと考えていた。
しかも、キャサリンは、父親から数学の才能とともに、過敏なほどの気質や精神的な不安定さをも受け継いでいた。そんな妹が、精神病がますます重くなっているロバートとともに、ほとんど自宅に閉じこもるような生活を送ることに、大きな不安を感じてもいた。
家族とはいえ、精神的に不安定な奇才・天才の数学者が2人だけで暮らすことには、かなりリスキーだと見ていたのだ。これはこれで、ごく正常な判断ともいえる。