キャサリンと父との穏やかな――しかし世間から孤立した――生活が突然終わった。大学側は、シカゴ大学が排出した天才数学教授の死を悼むための葬儀にすべく援助を惜しまなかった。
葬儀というものは、じつは故人のためではなく、生き残った者たちが自分の心や生活に「節目」「けじめ」をつけるための儀式なのだ。葬儀には親族はもとより個人と縁があった者たちが集うことになる。したがって、孤立していたが平穏だったキャサリンの生活と意識のなかに他者が近づき入り込むことになる。
それは、キャサリンに父亡き後の自らの人生をどう再設計するを迫る機会ともなった。
葬儀には、キャサリンの姉クレアもニュウヨークからやって来た。
クレアは、ウォール街で投資コンサルタント会社の重役――あるいは社長――をしている。仕事は成功していて大金持ちになっている。
隠遁生活ともいえるキャサリンの生活とは逆に、クレアは毎日忙しく多数の人と会い、世界中の金融情報を集め、即断してアドヴァイスし、あるいは預託された巨額の資金を動かすという世界にいる。あるいは父親から統計解析に関する数学的才能を受け継いでいるのかもしれない。世故に長け、世の中の動き、流行に敏感である。
クレアは、妹のキャサリンが父親から数学の才能だけでなく、精神的な過敏さ、脆さを受け継いでいることが心配だった。妹が精神的に脆いバランスの上に暮らしているということは、幼い頃から体験していたのだ。
その妹が今、献身的に介護してきた父の死に直面している。打ちのめされている。
クレアは妹の精神状態と今後の生活が心配で、彼女を自分の手近に置いて、何くれとなく面倒を見ようと考えていた。そのために、ニュウヨークに住宅を借りていた。世話好きなのはいいのだが、相手の事情を聴かずに取り仕切って段取りを取ってしまうのだ。
ところが、小さい頃から社交的で、何事にも卒なく対応する姉と、内向的で思索に深く沈潜しがちな妹とは、性格が離れすぎていて、そりが合わなかった。
老境に入った父親のケアについても、考え方がことごとく真っ向から対立していた。
「高額の金を毎月送るから、ロバートを専門施設に預けなさい」というのが、クレアの方針だった。家族が面倒を見るよりも、専門家任せる方がより高度で行き届いたケアができるという判断だった。
ところがキャサリンは、精神病で意識が混濁している父ではあっても、家族と一緒に暮らしながら介護する方が心の安定が保てるし、それゆえ、幾分でも病状の悪化を抑えることができると考えてきた。何よりもそうすることが、キャサリン自身の心の平穏のためだったのだ。
しかし、数学の研究生活を諦めて献身的に介護してきた父が亡くなってしまった。
父親の生前は、キャサリンにもまがりなりにも日々の暮らしの目標や課題があった。ところが、生活の中心軸となっていた父親がいなくなってしまった。キャサリンは、いわば暮らしの「つっかい棒」を失ったのだ。
今後の生活については、姉妹でひとしきり口論があったのち、クレアは「近いうちに迎えに来るから、引越しの準備をしておきないさい」と一方的に言い置いて、ニュウヨークに戻っていった。優柔不断な妹に決断を迫ったのだ。