旧ソ連社会の構造を探る 目次
世界市場的文脈におけるソ連国家
国家の存立根拠について
「国家」とは何か
世界経済の文脈での国家の成立根拠
国家資本主義的独占の失敗
中央計画経済の現実
計画経済の袋小路
ソ連・東欧レジームの崩壊へ
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ヨーロッパの解放

国家資本主義的独占の失敗

  さて、話をソ連の経済建設・運営に戻そう。
  とにかく、主要な生産手段の国有化と中央計画経済によって、ソ連国家は世界経済での著しい劣位をリカヴァーしようとした。リカヴァーのためには、ひとまず経済的従属から離脱するため、ソ連域内の経済を極力、ヨーロッパやアメリカなど中核諸国家=資本グループの世界市場権力(経済的浸透力)から防護=遮断する必要があった。
  西ヨーロッパ諸国家を中核として編成された世界貿易のネットワークから離脱し、世界市場競争の圧力を相対的に遮断する必要があったのだ。
  そこで、外国貿易・世界貿易の国家独占体制を組織した。国内の企業や団体が自立的・自発的に外国・世界貿易をすることができないようなレジームを築き上げた。

  18世紀までのヨーロッパの重商主義的政策でも、外国貿易は国家=王権の独占権に属していた。だが、王権は直接に経済活動を運営できないので、商人=企業家に、巨額の上納金や税金と引き換えに特権(特許状)を与えて、世界貿易の事業を委託した。こうして、王権は世界貿易によって獲得した利潤の分配に参加したわけだ。
  ところが、有力な商業団体や企業は、ひとたび特許状をもらうと、より多くの利潤を獲得し蓄積するために、巧妙に王権の監視や規制の網の目を逃れるノウハウをを獲得していった。王権政府の庇保護・支援を受けて「富国強兵」という名目を掲げて有力商人層が共同で経営する国策企業ですら、国庫(王室財政)よりも、はるかに自分たちの懐や財布を優先した。

  たとえば、イングランドやネーデルラントの「東インド会社」は、王権の保護を受けながら、独自の艦隊や陸軍、裁判所や官庁を組織して、植民地開拓や支配、世界貿易をおこなって、中央政府の統制からは堂々と逃れて活動していた。そもそも、会社の各部門が会社の本部からの統制や監視を逃れて、それぞれ好き勝手に権益をめぐって争い駆け引きを展開していた。
  だが、国家=中央政府の統制から逃れていた分だけ、あまりに巨大化=官僚化するまでは、したたかに経済的利害を知覚して、生き馬の目を抜くような、したたかな競争力を備えていた。


  身分的特権や不平等がまかり通る秩序のなかで、けっして自由競争ではなかったが、それでも、個別企業が競争し合い、出し抜き合うことによって、しかしそれでも、外国勢力に対しては、国民ネイション――ひとまとまりの政治的・軍事的単位――として結集しながら、先進諸国の資本は世界市場での闘い方を身につけていった。

  ところが、硬直的な国家官僚統制によって拘束されたソ連の外国貿易の独占体制は、世界経済の蓄積様式の基軸からどんどん離れていってしまった。経済の国際競争のメインストリームから脱落していった。しかも、西ヨーロッパの金融資本にほぼ全面的に従属していた。それは革命期からレジームの崩壊まで変わらなかった。
  中央政府の権力によって個別の企業や経営体が利潤や利権をめぐって国内では競争し合う仕組みを排除し、国家の命令で生産する体制をつくり上げたのだ。それは、ロシア帝国以来、自立した強力な資本家的企業群がなかったためかもしれない。あるいは、革命運動の結果、そういうノウハウを備えたしたたかな経営者階級が抑圧され追放されてしまったためかもしれない。

  革命の推進や「社会主義」の建設のためには、ソ連の指導者層や経済理論家は、マルクスやエンゲルスの思想にしたがって、「高度な工業生産力」の必要性を信じていた。だから国家の強制力をもって重化学・電気・機械製造業の急速な成長のために社会全体の資源を集中させた。食糧や日常の生活必需品を生産する農業や軽工業を――きわめて低価格での販売や効率の課税・賦課金を強制し、さらには土地や工場の所有権を奪い取って――徹底的に収奪し、国庫に集めた資源を重化学工業に投下し続けた。
  他方で農業や消費財生産セクターには政府が不合理で支離滅裂な生産目標を押しつけ、民衆の消費需要の質と量からかけ離れた生産物を供給させるメカニズムはこのときに土台が確立されたといえる。
  その仕組みが、ソ連の計量統経済学者プレオブラジェンスキーが提唱した「社会主義的本源的的蓄積」の政策だ。基幹工業セクターの経営基盤・資源を確立するために、農業や軽工業から資源を収奪する政策ということだが、彼はあまりに核心をついた理論を提示したため、ソ連社会内の階級敵対を煽動したという理由で粛清されてしまった。
  リェーニンは、これを「国家資本主義的独占」体制と呼んだから、実際には「国家資本主義的本源的蓄積」というべきだろう。

  西ヨーロッパに対するロシアの金融的従属は革命の前後で相変わらずで――というよりも革命後にむしろひどくなって、資源貿易(輸出)での屈辱的な従属状態を帰結していた。その意味では、ソ連が独立の国家であったことはただの一瞬たりともなかった。まして「社会主義的レジーム」だというのは、お笑い草だった。経済的に失敗した全体主義というべきだろう。
  では、中央指令型経済計画による経済運営がなぜ、いかにして失敗・破綻するのか、その過程を分析してみよう。

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